ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

カラフルな丘

米国西部のネバダ州、ユタ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州などの砂漠には、ペインテッド・ヒルorマウンティンと呼ばれるカラフルな地層の重なる山腹が美しい景色が各所に見られます。私が訪れたカラフルな丘は、カリフォルニアとネバダの州境のデスバレーにある Zabriskie Point という所で、まるで自分がルソーの絵の中に入ったような幻想的な雰囲気を味わいました。
さて、私のパソコンを起動する時に現れる写真に、美しい丘が重なる景色が出てきました。「あ、これはZabriskie Pointだ」と私は確信をもって思ったものです。ところが何と中国の北部の砂漠地帯にある张掖丹霞国立公園の景色であると分かりました。

张掖にたどり着くには、飛行機十数時間、そこから鉄道で15時間 (飛行機もあるが便が少ない)。そしてこの美しい丘に行くには张掖からバスか車で1時間ほどかかるとか。つまり所要時間が2日から3日ということになります。老体の身には中国を訪れる機会は多分ないと思います。Zebriskie Pointを観られただけでも幸せです。

ポーツマス条約

今週末から独立記念日の休日までニューハンプシャー州のポーツマスを訪れます。前々からポーツマスは一度訪ねてみたかった所です。私は港町を訪れることが好きで、ここは日露間条約が結ばれた所と言うこともあり、訪れてみたかったのです。掲題の条約については、日露戦争の講和条約、そして私が「テディさん」と勝手に気安く呼んでいるテオドール・ルーズベルト大統領が仲介に入ったということぐらいしか知りません。

[上の写真、ヴィッテさんのタイトル「露全権大使」書き忘れました]
ウィキをチェックしたら、テディさんが日本海軍と親しく、忠臣蔵の英訳も読むほどの親日家であり、テディさんは条約締結への功績大によってノーベル平和賞を受賞したと記されています。
ところが最近になって偶然 YouTube で『その時歴史が動いた』という番組をみていたら、ポーツマス条約についての新事実が出てきたということでした。テディさんは個人ルートで露国皇帝から既に譲歩合意を得ているにも拘らず最終会議においてそのことを伝えず、両国を決裂寸前にしてから自分の影響力により最終的に条約成立となるような行動をとろうとしたと伝えていました。(実際には小村氏らが会議の直前に本国日本から「露皇帝は領土について譲歩認めた」という電報を受け取っており無事領土分割条件を入れた条約を結ぶことが出来たということです。)
この新事実は、2003年、ポーツマス条約に関する新資料が英国国立公文書館で見つかり、皇帝譲歩に関するニュースは英国から日本に伝わったということが書かれていたらしいのです。
もしウィキに書かれたことが米国資料を基に和訳したものであれば、米国に有利な書き方となり、テディさんのトリックについては触れずにあるかも知れません。もし英国の資料が事実であれば、私は尊敬するテディさんに少し幻滅してしまいます。ただし、どちらを信じるか、私としては、まだはっきりしていません。テディさんは武士道の精神を重んじる人だと思っていたので「その時...」の解釈を丸呑みすることが出来ないのです。
フランス、オランダ、中国にある都市も会議場所の候補に上がっていたが『ポーツマスが選ばれたのは、合衆国政府の直轄地で近郊にポーツマス海軍造船所があり、宿舎となるホテルも多く、日露両国の全権委員は互いに離れて起居できること、軍港であると同時に別荘の建ち並ぶ閑静な避暑地でもあり、警備がきわめて容易なことから公式会場に選定された』とウィキに記されています。
日本の使節団は「戦争を長引かせれば日本は武器弾薬も尽き、負ける」という日本国民には秘密の状況を背負って条約会議に臨んでいます。領土と賠償金の両方を要求することの難しさを充分知っていたということです。老獪な超大国ロシアと対等に談合した小さな全権大使に脱帽。

いつもと少し違う閃輝暗点

ここ2-3日、毎日頭痛が続きます。昨日の朝はエクセドリンが効かず、丸一日苦しみました。私の場合、エクセドリンが1回で効かない時はその後何度飲んでも効かないのです。
それでそのあと別の薬を飲んでみました。セロトニン不足かも知れないと思いシタロプラムを飲み、苦しさが続くのでマグネシウムとビタミンB2も飲んでみました。それでも肩や背中が懲り息苦しいのと胃も具合がわるいのでヒートパッドで温めてみました。
夜になって、相棒が帰宅した頃やっと少し良くなってきました。夕食の支度をしてまた横になり、ウトウトしていて夜中に目が覚め、頭痛が少しよくなっていて空腹を感じたのでバナナを食べました。
歯を磨いて床に入り、目を閉じると、小さな閃輝暗点(SS)が見えました。ミニSS(笑)。こんな小さいSSを見たのは初めてです。小さいなぁと思っていたら、右から左へ何度も揺れ動いて、その内、だんだん大きくなってきました。あぁれぇ〜、と思っている内に左へ寄って眼の淵で大きくギラギラしてきました。右の目の奥が痛かったのですがSSは左に見えます。っということはこれは明日の頭痛の予兆で左側が痛くなるのかな? このSSはいつもよりギラギラして模様も少しきつい感じでした。
朝になり、昨日からの頭痛が残っていて、しばらくするともっと痛くなってきました。今朝は歯医者に行く予定があったので頭痛を長引かせてはまずいと思い、すぐエクセドリンを飲みました。幸い、頭痛は引いてきたのでホッとしました。
エクセドリンが効く時と効かない時があるはなぜだろうと思います。この理由が分かれば頭痛の原因も分かるかも知れません。

見つめる鳩

昨日の日曜日は日差しが強く、暑く、そしてかなりの湿気がありました。気温は27℃まで上がり湿度が75%という高さ。午後5時過ぎにセントラルパークを散歩したのですが、まるで日中のような日差しで暑さに強い私も歩くのがだるくなり、木陰のベンチに座って相棒と二人で暫く休んでいました。
すると目の前の少し離れた石畳に一羽の鳩が降りてきて、こちらを見ながらモソモソと香箱座りを始めたのです。そして地面にピッタリお腹をくっつけてチンマリと座り、オレンジ色の目でこっちをチラチラみています。私が鳩の方を見ると鳩は目を逸らし、私が目を逸らすと鳩はまた私の方を見ていました。何かを訴えているようにも思えました。最初は餌でも欲しいのかなぁ、と思ったのですが、鳩が餌を欲しい時はチョコマカチョコマカと歩き回るのに、この鳩はジッとしています。まるで私たちと一緒に休んでいるような様子をみせます。

鳩は、時々人が近くを通ると、それを避けるように少し場所を私たちの近くにずらして座り直しました。そんなことを2、3度ほどして、かなり近くにチンマリ休んでいました。座り直す時にチョット歩いた鳩が少しビッコを引いていることに私は気が付きました。私たちに足を直して欲しいと訴えているのかな。鳩の右足が少し変形して膨らんでいるようなのですが、怪我はかなり前のようで変形したまま傷は癒えている感じでした。
しばらく平和な感じで私たちも鳩も休んでいたのですが、なんとオスの鳩がやって来てこの鳩を追いかけ始めたので、鳩は飛んで逃げました。逃げた方向を見ると、また地面に舞い降り、ヒョッコラヒョッコラ歩いているのをみて可哀そうでなりませんでした。
相棒は「携帯で近くの動物病院を探し始めようとした」と言いました。鳩を驚かせないように捕まえるのも大変だし、向こうへ行ってしまったのだし、と心残りではあったけれど相棒を促してそのまま散歩を続けました。
帰宅してから「傷ついた野鳥の保護の仕方」をググった相棒が「箱に入れて保護する」とあるのを見つけ「セントラルパークに行くときは箱を用意して行かねばならない」と言いました。私が冗談半分で「鳩だけでなく傷ついたリスやらロビンやら見つけたらどうする?」と訊くと相棒は「箱を3つ用意して行く」と言いました。折り畳みの箱でもみつかればいいですが、ま、パークレンジャーに任せておくのが一番だと思います。
余談:私と相棒は以心伝心で、相棒も「折り畳みの箱」のことを考えたと言ったので二人で笑ってしまいました。時々同じ時に同じことを考える二人です。

インビザライン最後の日

きょうはインビザライン着用最後の日、のはずだったんです。朝、歯科医に行きました。
一応曲がっていた下の歯1本は真っ直ぐになりました。着用時に歯に付けた痛いイボイボを削ってスムーズにしてもらい、やっとスッキリしました。
さぁて、これでお終いだ、っとほくそ笑んでいた私に、歯科医が後出しみたいに「今後1年間ほど夜にインビザラインを着用して就眠すること、そうしないと元に戻る可能性がある」と言いました。その治療費はまた別払いです。うひょー、いろいろと後出ししてくる歯科医だなぁ、と思いました。
ま、はじめに私が治療について詳しく質問しなかったのも悪いのでしょうが、どんな治療をするか分からないのですから質問のしようもなかったんです。この歯科医はイボイボ(定着用のポッチ)についても前もって説明してくれなかったし、着用時間(1日22時間)についても曖昧だったし、隣り合わせた歯の横を削り隙間の調整をすることも説明がなく、この最後の「治療後1年間、保護用のインビザを着用すること(治療代別途)」など、ちょっと後出しとしては計画的な感じがしました。治療の都度、え?え?と思いながら治療されるままにしていましたが、イボイボは恐ろしく痛かったので、治療前後にもっと説明が欲しかったです。それとこの治療後の保護治療なんかも先に伝えてもらえたら心の準備が出来たのにと思います。
たった1本曲がっていただけなので整形歯科治療してしまえば楽だったと思います。料金も1本なら安く済んだはずです。健康な歯を無駄に削ることを避けたかったので矯正治療を選んだのですが、矯正治療でも他の歯を少し削ってスペースを作ったりするとは知りませんでした。更に整形治療では保険は効かないと覚悟していましたが、インビザ矯正治療は保険が効くと思っていました。ところが保険対象者は19歳以下で、ババァの私はカバーされませんでした。それで治療費はかなり高くつきました。
たった1本の歯でも矯正はいろいろと面倒臭いものだと知りました。"learn the hard way"という言い回しがあります。「失敗して学ぶ」「痛いめにあって物事を学ぶ」「悪い経過や結果になって反省し、そこから学ぶ」といったところでしょうか。このインビザライン治療は私にとってそんな感じでした。

海ゆかば

2日ほど前、なぜか『海ゆかば』の歌が頭に浮かびました。何だろと思ってwikiをみてみましたが、特にこの日に関係することは見当たりませんでした。ただ、歌詞が大伴家持の長い詩の一節であると知りました。千数百年前の詩が今でも歌われ人の心を打つことに感心しました。
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ

グーグルの似非英訳を見ている相棒のために歌詞の英訳を載せます
If went to the sea, be a corpse immersed in water
If went to the mountains, be a corpse in growing grass
To die only for the emperor
Never turning back (never regret)

人間は何か心の糧、精神の柱、永遠に敬うもの、つまり神とか王とか天皇とか、そういうものがあると秩序が保てるようです。それが崩壊すると共産主義のようなカオスとなる。だから信じる信じないは別として、神も王も天皇もあった方がいいと思います。税金の無駄と思わず、保険料だと思えばいい(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=bMOgexomMAE

『海ゆかば』が浮かんだあと、ラジオで父の日が来ると言ってましたので父からのサインかな。父はいつも軍歌を歌っている人でした。『戦友』をよく歌っていました。戦友が一人もいなかった父が歌っていました。父が父の日に思い出して欲しいということならば『戦友』が頭に浮かぶはずだから、父からのサインではないのかも知れません。
そう言えば、今年は母が母の日の前に電話をしてこなかったので花を贈りませんでした。電話をしてくればそれが催促のように思えるので贈ることにしていたのです。母の周りにはたくさんの人がいるから、近くにいない私は静かにしていた方がいいように思うのです。

ちっとも速くないFIOS

光ファイバー回線で速いって聞いていたけどぜんぜん速くない。サイトをダウンロードする時間はDSLの方がずっと速かった。
FIOSだとワイヤレスのキャッチが悪くて、あの丸い印がチンタラチンタラ回って、なかなか完了しない。
我慢できなくて途中からマウス使い始めるとポインターが出てこなかったり動かなかったり、まるでマンハッタンを運転するようなイライラ感がマックスになる。
電話会社のやつめ、FIOSの中でもさらに高速だからと追加料金までとったのに、なんだこの遅さ、詐欺だ!