ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

ふと思ったこと-犬の公衆トイレ

今日、買物の帰り道、ゴロゴロと買物バッグを引いて、時々吹く風に乱れて顔にかかる髪をフッフッと息を吹きかけて除けながら、ゆっくり歩いていました。何気なく空を眺めると青空にウロコ雲。するとフウッと自分が身体から抜け出て自分自身を俯瞰しているような気持になり、空が上にあるのではなく、それが地球の周りにあり、私はその惑星の大地にあって空を眺めている蟻のように小さな存在であること、そして目に映る、この街の景色、工事現場、道路、車、歩く人々、そんなものもなぜか急に実態のないものに感じられてきました。そして私はこの世を去ることを悲しいとは思わない様な気がしてきました。

そして、再び、現実に戻りました。戻って今度は、ひどく現実的な考えが浮かびました。犬の散歩とトイレのこと。NY市では、猫は家の中に猫用トイレを置きますが、犬は外でさせます。それも歩道に大小させていて、小は垂れ流し、大は飼主がプラスチック袋に入れて、歩道にあるゴミ箱へ捨てます。先進国なのに、これはヒドイ。なぜ犬用の公衆トイレを設置しないのでしょう? 便をゴミ箱に入れるなんてよくないと思いませんか?トイレに流すべきです。

欧州、スペインなどではペット用公衆トイレがあるそうです。トイレに限らず、NY市の汚さは自分勝手で非文化的な民主党レフティストが市政を牛耳ってるからです。垂れ流しそのもの。

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←日本にも犬のトイレがあるようですね。

 

 

 

 

 

 

 

私は犬も猫も大好きですが、よく考えたら、犬も猫もお尻を拭きませんね。家の中で犬や猫を飼っている人はそれをどう思っているのでしょう。拭かなくてもきれいなのでしょうか?

週末に2本観ました

Life Itself

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4つに分かれたストーリーが興味深く繋がっていきます。時間の流れを、ややもすれば混乱してしまう交差方法で上手く表現しており、運命の繋がりの意外さが観客の興味を募らせ、脚色兼監督のストーリーテラーとしての手腕を感じました。

私が特に気に入ったのはスペインにおけるエピソード。南欧の美しいオリーブ畑と館(やかた)の雰囲気もよく、二人の男優のセリフが粋で、演技も冴えていました。アントニオ・バンデラスが真面目な雰囲気を出せる役者であったことに少し驚きました。もう一人の男優はスパニッシュ・インディオの顔付が役にピッタリで、無言の目付きが素晴らしかったです。

この作品に対する米国の巷の評価は非常に低く、私と意見を異にします。私ならオスカー作品賞の候補に推します。

[後記:2019年1月の時点で、ある米国雑誌のワースト映画リストで’この作品が2位になっていました。センチメンタル過ぎというのが理由ですが、安っぽいセンチメンタルな作品はゴマンとあるのに、なぜこの作品だけが突かれるのか、映画界で村八分的なことが起きてる気がします。ま、私は、興味ある作品は他の評価は無視して観ますけど。]

 

El último traje (the last suit)

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戦後ポーランドから逃れアルゼンチンで暮らしていたホロコースト生残りの男性が、70年以上も前に助けてくれた人に逢いにポーランドのLodzまで旅します。

88歳になり足の悪い男性にはかなり苦しい旅です。アルゼンチン-スペインーフランス-ドイツ-ポーランドまで、旅の途中で言葉の支障や災難などに遭遇しながらも、持ち前のチャーミングな会話で人から助けられ、何とか目的地へ向かいます。目的地はLodz。私事ですが、相棒の父方の祖父母の故郷でもあるので、相棒は身近に感じて興味深く見入っていました。

戦中、真面目に暮らしているのに、ユダヤ人というだけでナチスやナチスを支援するポーランド人に家や財産を略奪され、目の前で家族を撃ち殺され、収容所で働かされる...そんな様子が老人の口から端的に語られるシーンは、ホロコーストを知らない人には胸に刺さるものがないかも知れませんが、ワタシャもう涙ポロポロ見てました。

「ホロコーストなどなかった」と言う人がいる今の時代、お涙頂戴の陳腐な作品だと思う人もいるかも知れません。しかし、ホロコーストを身近に感じる人にはそうは思えない作品です。主演の役者もいい演技を見せてくれて、なかなかの佳作だと思います。館内の観客は私たち2人とあと3人ほどでした。ホロコーストの悲惨さも、生残りが亡くなっていく中、忘れさられていくのでしょう。残念ではありますが、私たちは消えていく年代になったのだと思います。

暑さ寒さも彼岸まで

明日はもう秋分の日。蒸し暑かったNY市もきのうあたりからフと涼しさが感じられる時期になりました。暑さ寒さも...か。

いまだに日本の日付で春分3/21、秋分9/23と思ってしまう私の頭ですが、日付変更線を越えない米国では1日差があり、春分3/20、秋分9/22であります。

ま、そんな人間の決めた数字などはどうでも、大きな自然の動きは淀みなく進んでいきます...なんだか方丈記みたいになってきた。

~淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし~

韻が心地よくて、現代でいうと志賀直哉の文みたいかな。

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彼岸花、子供の頃、初めて見た時「あぁ、きれい!」と思ったのですが、「それ毒があるんだよ」という母のダミ声が聞こえてきて、急に恐ろしい花に見えたりしたものでした。

ま、何にでも裏表はあるものです。きれいに見えればそれでよし、毒々しく見えればそれもよし。

英語では「Red Spider Lily 赤蜘蛛ユリ」と呼ぶらしい。雄シベが蜘蛛の足のようです。

 

 

やりきれない気持

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2日目になってもまだモヤモヤした気持が消えません。きのうの日曜日、五番街を下るバスに乗っていた時のことです。

バスには空席がチラホラありました。バスの前方に3人座れるベンチ型のイスがあります。混雑している時は老人や障害者が優先されるイスですが、空いている時は誰でも座ります。そこに5歳ぐらいの女の子と男の子が座っていました。女の子は西洋人形のような美形、男の子はハーフのようでこれまた超美形。そこに父親が二人付き添って立っていました。男の子の父親はアジア人(多分日系)で訛りのない英語を話すのでこちらで生まれた人だと推察。一所懸命二人の子供と話している様子からとても子供好きの人だと分かり、微笑ましく見ていました。

そこに杖をついた70-80歳ぐらいの老婆が乗ってきて、ベンチを過ぎて一人用のイスに座ったのですが、その時、何かが起こり、アジア系の父親に向かってババァは “go back to your country!(自分の国へ帰れ!)”と口走ったのです。自分の子供の前でそんな失礼なことを言われた父親は声を大きくして「ニューヨークでそんな人種差別的な言葉を聞くとは思わなかった。あんたは人種差別主義者か」とそのババァを睨みつけました。その父親は多分米国生まれでしょうから「自分の国って言われたって、どこのことだよ」とも言っていました。

自分の息子の前で、ひどく人種差別的で理不尽なことを言われたらどんな父親でもムカつきます。「この糞ババァ」とどなってもいいと思うくらいですが、この父親はそういう罵りの言葉は1つも発せず、ただただババァを睨みつけていました。するとババァの後ろにいた男性が「いい加減にしろ。彼女を睨むな。バスを降りろ」などと言いだすのです。その父親の小さな息子は一瞬、悲しそうな顔になり目に涙が溜まっていました。ああ、私はオロッとなりました。ひ、ひどいババァと男だ。私は向かい側に相棒と一緒に座っていましたが、相棒の陰になって父親とババァの状況は見えませんでした。もう一人の父親、女の子の父親は白人でしたが、この状況に口出しはせず黙っていました。

そして今度は私の後ろに座っていた中高年女性が聞こえるような声で「あの男、麻薬でも飲んでるみたいね。さっさとバスをおりればいいんだわ」と言うのです。私はカッカとしてきました。この女も人種差別ババァを支持するのかいな。その父親は「私は麻薬なんかやってません。人種差別的な言葉を吐きかけられたのです」と説明していました。

これではこの父親が悪者扱いされてしまうと思ったので、私は「あんなこと言われたら私だって腹が立つ(offended)わよ。お前の く、国って、な、なによ!」と聞こえるように言ってやりました。私も同じような人種差別的なことを言われたり、態度をとられたことが何度もあり、その度、黙って耐えて知らんふりしていたのですが、今ここで子供好きな父親がやらていたのです、加勢したくなりますよ。

ババァは不貞腐れた顔でイスに座っていました。周りがババァの味方なので悪びれていませんん。もう私は「おまえこそ、どこから来たか分からない様な顔してるじゃないか。糞ババァ!老いて杖をついているからって人種差別主義者をのさばらせておけるか、このレイシストめ!」と無意味な罵りをしたくなりましたが、もちろん頭の中だけでそう言いました。

今落ち着いて思うに「年寄りだからって何でも言っていいということはない。この父親の小さな息子は、父親が馬鹿にされたことで今後トラウマになるぞ。おまえは子供をそんな気持にさせて恥ずかしくないのか」と言ってやれば良かったと思うのです。でもカッカした時の私は理路整然としたことは言えません。

父親の口惜しさを私も十二分に感じ取って、きのうからとても気分が悪いのです。でも、あの父親、けして罵る言葉を言わなかったのは息子がいたからでしょうか、それとも低俗な言葉は使わない品格のある人だったのでしょうか、どちらにしても、私としては誇れる思いです。こっちの人はFだのSだのBだのと凄い罵り言葉をぶつけだし、低俗そのものですからね。

自分の国へ帰れと言っていいのは違法移住者に向かってです。法に沿って住んでいる人をそういう違法者と一緒にされてはたまりません。レフティストは「違法な移住者」を「法を守る移住者」と混同させて、違法に保護しています。まったく、やりきれない、やりきれないでーす。

Lizzie 観ました

Lizzie

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1892年マサチューセッツ州で実際に起きた殺人事件を脚色した作品。TVドキュメンタリーなどでも何度か取り上げられている事件のため、私を含め、ある程度のことを知っている人は少なくないと思います。

この作品では当時の状況から想定できる殺人の動機を父親と娘に焦点を当て、メイドとの関わりに彩を付けて興味深い解釈となっていました。

当時の服装も仔細に制作されていてクローズアップでも布地やボタンやホックに細かい神経が使われていることが分り、服装に興味のある人には嬉しい作品だろうと思います。

1つ、私が気になったのは継母の存在が薄いことです。私がこの事件を知った時、継母の存在がかなりの重さで関わっていたような気がしてなりませんでした。この継母と主人公の関わりをもっと掘り下げて解釈をしたら、もう1つ別の作品が出来上がるような気がします。

風呂場の修理完了

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きょうは土曜日ですが、左官屋さんが朝やって来ました。

風呂場のタイルの目地を埋める作業が残っていたのです。作業が終わるまでトイレが使えなくなるので、朝早く起きて腸を活動させて用を足しておきました。

作業は午後2時ごろまでで終わり、やっと落ち着きました。

きれいな仕事をしてもらったので、今後は水漏れしないようシャワーの首を壁に向けないように気をつけたいと思います。

The Bookshop 観ました

The Bookshop

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英国の保守的な小さな町で本屋を開いた女性に降りかかる悪意と挫折を描きます。

田舎の住人は一見優しそうでも閉鎖的で排他的な面があること、そして町の有力者に無防備で対抗した女性は自分の無力さを思い知らされます。

少ないセリフの場面でも沈黙の中に訴えるものがあり、熟練俳優の抑えた演技も相まって好ましい作品でした。

ロケ先はアイルランド、監督兼脚本がスペイン人でスタジオはバルセロナということも作品の雰囲気に反映しているような気がします。美しい港町と田園風景、そして1950年代当時の女性のドレスのデザインや色合いなど、心に沁みる作品でした。