ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

放射線呑み込んだ私

福島原発事故で、日本の皆さまの心配が重なっておられることと思います。放射線で思い出したのが、四年前、私が甲状腺癌で両葉を完全切除し、手術後二回、放射性物質(ヨウ素)による治療検査を受けた時のことです。まだ記憶新たな内にそのことを書きましたが、今はもう記憶も薄くなり、ヨウ素の分量も何百マイクログラムだったか覚えていません。ただ、かなりの分量だったように思います。一回目、医師は手袋をした手で、厚みが10センチほどの円柱形の重々しい金属の器の中心から、呆気にとられるほど小さな容器を取り出し、その中にある小さなヨウ素の錠剤を紙コップにポトンと落して私に渡しました。私は手袋をしていない手でその紙コップを受けとり服用しました。どうせ放射性物質を飲みこむんだから手袋なんかしなくてもいいのでしょう。帰りは、付き添って来てくれた相棒と離れて帰るように言われました(笑)。

私は 1、2週間ほど隔離が必要なため入院を勧められたのですが、相棒はカウンセリングの医師に頼んで自宅待機の許可をもらってくれました。その代わり条件は厳しくて、トイレは少なくとも2回流すこと、毎回便器の拭き掃除をすること、相棒とは壁を隔てた別の部屋に居ること、料理の際は手袋をすること、食器等はプラスチックで使い捨てにすること、私のゴミは別のゴミ袋に入れ、あとで病院で処理して貰うこと、洗濯物は別々にすること、などなど。相棒も私も、あまり心配せずにいられたのは子供がいなかったせいでしょう。老婆の私は妊娠の心配もありませんでしたし。放射線治療の副作用というか後遺症というか、暫く便秘が続きました。半年以上続いたと思います。原爆の恐ろしさを知るだた一つの国、日本の国民であった私は、放射線と聞いただけでもゾッとしましたが、四年経ったいま、呑み込んだ放射線による影響はないようです。