ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

義母の娘?

去年の11月、1か月近く入院して気の弱くなった義母は、退院直後から24時間の付添人をつけました。ところが次第に元気になってくると、もともと自我の強い人ですから付添人が気に入らなくなってきます。最近になって夜の付添は不要だと言いだしました。持前の懐疑心から、眠っている間に物が無くなる、などと言いだすのです。夜中まで付添人がいるのはかえって迷惑だと言わんばかり(笑)。それで半日の付添に切換えました。義母は、どんな良い人でも気を悪くさせる特技を持っています。それで、とても優しく勤勉な付添人が一人去り、二人去り、今は毎日違う人が来るそうです。

義母は私に『私の娘みたい』と言うことがあり、ドキッとした私はウヤムヤな態度でいつもごまかしていました。付添人の中でも人一倍優しくて勤勉だったマーリーンという人がいました。義母はマーリーンにも『私の娘みたい』と言ったそうです。それを聞いた私は、なあーんだ、誰にでも言うのか、そう言えば看護婦さんなんかにもそう言ってたっけなあ、と安心したけれど、少し馬鹿にされた気持にもなりました(笑)。その優しいマーリーンをも義母は気を悪くさせたのか、彼女はもう付添に来なくなりました。

昨日の日曜日、亡くなった義父の6周忌に義母を連れてお墓参りに行きました。この墓地は、いつも気持が良く、いつまでもいたい気分になるところです。義父のお墓の前にある植木のゴミやら塵やらを取り除いて、義母の手をとってじっと立っている私に義母が『あんたは私の娘ね』と言うので、付添人のことを思い出した私はつい『ノーッ』と言ってしまいました。義母はビックリして『立っているのが辛くなったから車に戻る』と言うので車の中に座らせてあげました。暫くして、私が車に戻ると義母がすすり泣いています。そして相棒が車に乗ってきたら、ますます大きくすすり泣き始めました。苦笑した私が『だって、付添人にまで「私の娘みたい」と言うのだから、私はノーと言ったんですよ』というと、義母は泣いていたことをケロリと忘れたように怒った声で『あれは冗談で言ったんだ。おまえには本当にそうだと思うから言ったんだ』とインチキな言い訳をしました。その後、義母が『おまえは実の娘よりよくやってくれるよ。実の娘以上だよ』と言うので『そう、そう言うことならいいです』と私もしかたなく作り笑いで応えておきました。

この墓地には義母の姉夫婦たちの墓もあり、いつもその墓にもお参りするのです。ところがこの日、またレストランで夕食するのをなぜか楽しみにしている義母は姉夫婦たちの墓参を忘れ『夕食どこで食べるんだい』と訊くのです。相棒は呆れて『伯母夫婦の墓に行ってからだろう』と確認すると『あ、そうだった』という義母はまるで漫画です(笑)。

レストランではスープを頼むと主食が食べられなくなると分かっているのにスープを頼んだ義母は、いつものように殆ど手付かずの主食(貝柱のフライ)を包んで貰っていました。義母は鍵穴が見えないというので、私がアパートのドアまで義母に付添い鍵を開けてあげると『サンキュー、義理の娘』といたずらっぽい目で言った義母。電話好きな義母は、これから毎日『あの子は、私の娘と呼ばれるのを拒否した』とあちこちの親戚に言いふらすことでしょう。まあ、話の種が出来て、私を肴に楽しんでくれるならそれでいいのです。