ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

嫌われ婆さん

きのう、シンプルな電話機を買って義母のところへ持って行きました。病室の外で車イスに座ってボーっとしていた義母は、私を見るなり、ソレッとばかり不満を並べ始め「こんな皮のイス(車イス)痛くて堪らん。ベッドに戻りたい。ベッドに寝かせろ」というのです。この「ベッドに人一人載せる」というのはナカナカ難しく、慣れた介護婦さんに任せるしかありません。義母はベッドに座ると「ここの食事は不味い!食えたモンじゃない!みんな意地悪だ。こんなところに居たくない。家に帰る」といつもの一連の文句が始まります。「でも、家に帰っても介護人はいませんよ」と私が言うと「付添人が居るじゃないか。付添人に何でもやらせればいいんだ」と義母は付添人サービスが終わったことを認めません。「もう、付添人サービスはおしまいです。家には誰もいませんよ」と言うと、義母は「一瞬」何か考えるような顔をしましたが、ただ「一瞬」のことでした。

しかし、これほど不平不満を言う人もいないなあ、と思うほど次から次へと文句を言う義母です。私には信じられないほど、何でもないことが我慢できない婆さんです。介護婦さんたちは義母の口の悪さに辟易しているのが態度に出ています。ところが、隣のベッドのお婆さんはとても優しくて良い人なので、介護婦さんたちは、わざわざ隣のベッドにやってきて「○○さん、可愛いねえ。大好きよー」などと聞こえよがしに言うのです。義母は「なんじゃ!ワシには挨拶せんのか!!」と怒鳴ります(苦笑)。介護婦は「挨拶しましたよ。聞こえなかったんでしょう」と言い訳しますが、今度はヒソヒソと話し始めます。義母は、だんだん険しい顔になってきて、ますます文句を言い始めました。私はもう「穴があったら入りたい」気持になってきて帰り支度をしました。「なんじゃ、もう帰るのか」という義母に「買物しなくちゃならないの」と言うと「ワシのために時間費やしてしまってるから、悪いね」という義母の意外な言葉が返ってきました。アラ、まあ、と少し和らぐ気持になったのですが、そのあと「早く帰るのは嬉しいだろ。ワシから離れるのは嬉しいだろ」と皮肉な言葉がかぶさってきました。オッカサン、それを言っちゃあいけないよ。

もっと人に好かれる婆さんだったら、私もやりやすいんだけどねえ。ま、何事もスムーズに行かないところが人生の興味の深さ、かな?