ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

ガックリ

私に失読症の気(ケ)があること、前に何度かお話しました。パソコンを始めた頃、日本語環境のEメールにある「受信トレイ」をどうしても「受信トイレ」と読んでしまう私でございました。お料理に「ひつまぶし」とあるのを「ひまつぶし」と読むし、日本まんが昔話のタイトルに「干し葉のおじや」とあるのを「干し葉のおやじ」河童の「かわらんべー」を「わからんべー」...その態で、きのう行った日本食料品店のドリンク剤に「ウコンの力」とあり、えっ...。

それとは全然関係ありませんが(笑)、こちらの人(米国で生まれ育った人)は、どうも私を悲しくするような勘違いをします。前に、義母の世話係と間違われたことをお話しいたしましたが、そういうことが度々あるのです。ま、病人や老人の世話係の職についている人の八割方がフィリピンからの中年女性と言っても過言ではないのが、ここニューヨークの現状です。だから、東洋人であるために間違われても仕方がないのです。まぁ、だいたいがスウェットシャツにコットンパンツという安価な姿だから、自分でも、奥様でなく世話係と見るのが妥当とは分かるのですが、そこが老いても女性であるワタクシ、どうしてもガックリします(笑)。

少し、昔の話ですが、私が若い女性の頃(笑)、コールガールと間違われたこともあります。化粧が濃すぎた...? あの時は腹が立って腹が立って、悔しくて堪りませんでしたが、今になって、世話係よりコールガールに間違われる方がマシだった、などと思います(笑)。

きのう、病院で相棒としばらく話をしていたドクターが、義母のベッドの傍にいる私に向かって「彼女(義母)とは何年一緒なんですか?」と訊くのです。「20年です」と答えると「ホホー!」と感心するドクター。ドクターの勘違いを察した相棒が素早く「彼女、私の妻ですから」と補助すると「あ、それは失礼しました」とドクター。つまり、私を雇いの世話係だと思い、20年も世話しているのかと感心したという次第。

しかし、このドクターだけではなく、病院や養護施設の人たちは皆が皆、私を世話係だと思い込みます。以前、義母に付添って心臓医の医院に行った時、医者のアシスタントが私に義母の服を脱がせるようにと言ったことがあります。随分人使いの荒いことだと思いましたが、黙って言う通りにしました。あとで私が嫁と分かったアシスタントは「一所懸命世話しているので付添人かと思ったんです。すみません」と言い訳しましたが、本当は私が東洋人であるから世話係と思い込んだのです。しかし、そう言うと「人種差別」と思われるので本当のことは言えないのです。

酷かったのは、6年前、私が相棒のアパートに移り住み始めた頃のことです。アパートの掃除夫からドアマンに昇格した黒人の男の子がいました。初めてドアに立った日、私のことを「中華料理の出前の配達人」と間違え「どこのアパートの配達だ?」と、両手にショッピングバックを下げた私に訊くのです。「ワタシャここに住んでいるんだ」とガックリ。この若者、東洋人の顔は皆同じに見えるらしく、しばらくは私の顔の区別がつかなかったようです(笑)。この若者、また掃除係に戻ってしまいました。そして、前にも言いましたが、私のアパートのセントラルヒーティングの掃除に来て、私のボワァッとしたソバージュの髪をみて「あ、まだ寝てたんですか。それならまたあとできます」と言ったのもこの若者です(笑)。

コレも同じ頃のことです。アパートの地下にランドリールームがあります。私がそこで洗濯をしていると、そこに住む中年の女性が「あなた、ここに住んでるの?」と訊くのです。私が怪訝な顔して「ええ、まあ。なんでそんなこと訊くのですか?」と問うと、その人「洗濯をしてくれる人を探しているのよ」と言うのです。「そ、そんな」と、身体から何かが崩れ落ちるようにガックリした私は「あのー、私はオフィスワーカーでドメスティックワーカーではないんす」と言うと「あ、失礼、失礼」と言って恥ずかしそうに向こうへ行ってしまいました。東洋人なら誰でも掃除洗濯の仕事を探していると思ったのでしょう。

実は私はドメスティックワーカーです。主婦ですから掃除洗濯料理、その他なんでも家庭のことはやっております。そういうことをするのが好きな方です。だから、あの女性にお手伝いのことを言われてもそれほどガックリすることもないのですが、出前配達人と間違われて間がなかったので、ダブルパンチ食ったため、反抗的な言い方になったのです。別にオフィスワーカーがドメスティックワーカーより優れているとは思っていません。