ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

認知症

8年ほど前、相棒の父親が認知症になったのは、小さな卒中を繰り返し、最後に大きな卒中を起こしたためでした。卒中について、もう少しよく分かっていたら、小さな卒中を繰り返していた父親のいつもと違う様子に気付いて、医者に血液調整の薬を貰って上げられたのに、と相棒も私も悔やまれるのです。父親は6年前に亡くなりましたが、その2年間、静かな父親は、悲しかろうが苦しかろうが、何も言わず、ボソッと冗談まで言うので、認知症であることさえ気が付かない人もいるほどでした。ひどく頭の良い人だったので、自分の記憶と認識が薄れて行くことへの恐怖を強く感じていただろうと思います。

そして、この2年ほど、相棒の母親の認知症が進み、この1月に亡くなりましたが、父親とは性格がまったく違う母親の症状は「静か」には済みませんでした。徐々に悪くなる症状なので、母親の場合、性格なのか認知症の症状なのか区別がつかないことがありました。例えば、

  • すぐに泣き喚くこと:自分の思うようにならないと子供のように駄々をこねるのです。
  • 記憶違いをすること:自分の都合のよいように記憶を作り変え、嘘つきかと思わせるほどです。
  • 懐疑的になること:人を悪者にしてしまいます。

母親の症状が認知症だと思うようになったのは、私がレビー小体認知症についてのビデオをYouTubeで見つけてからです。びっくりするほど症状が似ていました。もともと自分勝手な性格な人だと、レビーの症状が出てもすぐには区別がつかない場合が出てきます。

昨夜、私の実母に電話してみました。84歳でADDのケがある母、海外へ行ったことは一度もない母がシアトルへ行くと言い出したそうなので、慌てて、止めるように言おうと思って電話したのです。幼い頃から何でも一人でやってきた母は、大変気の強い人です。62歳の私を捕まえて「何にも知らない子供」だと思って馬鹿にしているので、私の言うことなんか聞きゃしません(笑)。

13時間も飛行機に乗っていられないだろうと言う私に「ずっと眠っていくから大丈夫だ」と母は言いました。トイレに行かなきゃならないが、中は狭いし、揺れてヨロヨロして使えないだろうと言うと「13時間ぐらいトイレなんか我慢できる。それにトイレには捕まるところがあるだろう。列車のトイレにはある」と母。英語もしゃべれないし一緒に行く○○夫人に迷惑がかかるだろうと言うと「英語は一緒に行く○○夫人が喋れるからいい。○○夫人の娘の家の庭の草むしりを手伝いに行くんだ」と言いました。

そして母は「外国へ行ってみたいんだよ...シドニー...」などと言い出しました。「シ、シドニー!?...シアトルでしょ」と私が訂正すると「そう、シアトルだった。ニューヨークから遠いかい?」と平気な声の母。飛行機で5、6時間かかるというと「そんな遠いのか。じゃ、しかたない」と私と会うことはアッサリ諦めてました。

昔は「飛行機に乗るのがこわい」と言って、私がニューヨークへ来るよう誘っても来ようとしない母でしたが、今はよほど寂しいようです。

ところが母は「おまえは一度もニューヨークへ来いと私に言ったことがなかった」と言いだすのです。人聞きの悪いこと言うなぁと私は焦りました。私が一人暮らしをしていた頃、何度も遊びに来るように言ったのですが、その頃は孫と遊ぶ方が面白くて、飛行機に乗るのが恐い、日本がいい、外国なんか嫌だなどと言ていた母でした。

もしかしたら、母もレビー小体認知症になるのかなぁ、とふと思ってしまいました。非常に自我の強い人なので、性格なのか認知症の始まりなのか区別がつきません。母と昔のことを話すと、やたらと記憶を作り変えているのには驚きます。そうじゃなかったでしょう、と矛盾を指摘すると、頭の中がゴチャゴチャになってくるようで、結局、自分の作った記憶をそのままにしてしまう母です。

この歳になって老人というものを知りました。自分はこのような老人になりたくないと思うのですが、オタマジャクシがカエルになりたくない、と思うようなものなのでしょうか。