ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

いまさら記憶の衰え

いま「飛鳥」と言う文字を見ていて、1秒前にはちゃんと読んだのに、その後、瞬間、何と読むか分からなくなってしまいました。エッ!?ってな具合です。一時的な記憶喪失になった状態に落ち込みました。老化現象が記憶を少しずつ衰退させているのでしょう。ちょっと恐いような、仕方がないような気持です。

10年以上前になりますが、勤務していたオフィスで電話をしていて、相手に自分のオフィスの電話番号を伝える段になって、番号が全く出てこないことがありました。毎日何度となく繰り返している番号が頭に浮かばないのです。考えても考えても浮かんでこないのです。自分でもビックリ。相手も驚いていたと思います。ウーウー唸って思い出そうとする私に「もういい、いいです。こちらで調べます」とまで言われてしまいました。あの極端な記憶喪失の経験はいまだに不思議でなりません。

数字を憶えることが苦手な私ですが、あの頃、電話番号だけは、数字というより視覚とリズムで覚えていたのです。今は、それも出来ません。自宅の電話番号を忘れることは年中、セル(携帯)番号はまったく憶えられませんので記憶することは諦めています。日本の実家の住所も漢字の部分は憶えていますが数字の部分はもう記憶になくて、書き置いてあるものを参照しなければなりません。

私よりずっと若い相棒も最近記憶の衰えがみえてきました。若い頃の彼の記憶力は私が平伏して尊敬するほど凄いものでした。私は自分のことでも年月日を憶えていませんので、何かあると相棒に訊いていたものです。相棒は年月日のほか曜日まで憶えていました。歴史のことも脳に年表があるかと思わせる人で、雑学もあり、私は相棒をwalking dictionaryにして全面で頼っていました。

その彼も最近は忘れることが多くなってきています。私は相棒の脳を「私の大事な脳」と呼んでいます。「私の大事な脳を大切にしてちょうだい」と頼むのですが、若い頃と同じように睡眠時間の少ない相棒の脳細胞はどんどん破壊されてきているようです。睡眠時間を充分とるように頼むのですが、宵っ張りの癖が抜けない相棒の体内時計は若い頃のままで、相棒自身もコントロールできなくなっているようです。

記憶が悪くなってきているのに、私は数十年前の記憶が蘇ることがしばしばあり、その頃の自分の未熟さに「アー」だの「ガッ」だとの声を出して悔やんだり惜しんだりしています。これは無意味なことなのかも知れません。ですが、止めようとしても止らないことなので、何とか意味を見出そうとする私です。未熟さを悔やみ惜しむことが済んだら、心が平穏になって死期を迎えることが出来るんじゃないかと考えたりしています。