老前整理

家の中がゴタゴタしてゴミ箱の態を呈しています。あとで片付けようとして臨時に床の上に置いたものがいつまでもそのままであったり、整理のために集めたダンボールの空箱が空のまま積み重ねてあったり、と無駄なものがゴロゴロしているのです。義母が残した荷物の整理をしてから、無駄なものはどんどん捨てなければならないことを痛感した私なのですが、偏頭痛と短期記憶力の低下がひどくなり、何をどのように片付けようとしたのかすっかり忘れています。

そして自分が最近インターネットで「生前整理」についてブラウズしていたことも、書き留めておいたメモを見つけてから「そうだったっけ」と思うのです。しかしメモを見ても思い出せない部分があるので老いの忘却は恐ろしい。

以下が私の書き留めたメモで、日付はないのですが、多分1ヶ月ほど前に書いたのではないかと思います。
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「生前整理」という言葉をグーグルしていたら「老前整理」という言葉にぶつかりました。生前整理は自分と残された人のため、老前生理は自分だけのための整理のようです。私のしなければならないのはこの「老前整理」の方でした。ボケる前に整理しておかねばなりません。

3年前、義母のアパートの片付けをした時、ゴマンと出てきたいろいろな品。まるで博物館のような品々に「大きな倉庫さえあればとって置けるけれど...」という気持がどこかから湧いてくる一方、自分の残りの命の年月を考え、どんどん捨てていかねばならないという義務感のようなものを感じ、殆どのものをゴミとして捨てました。義母がみたらきっと嘆いたと思います。しかし本人にとっては大切なものでも他の人にとっては全く意味のないものとなるのは仕方のないことです。

義母が私に継いでもらいたいと思っていたものもたくさんあったと思います。たとえばノリタケの食器セットなどは大変素晴らしいものでしたが、私たちのマンハッタンの狭いアパートは食器棚を置く場所もなく、自分たちのものさえ整理して捨てなければならない状態で、とても受け継ぐことは出来ませんでした。しかし、その食器を大事に使ってくれそうな日本の方が見つかったのは私だけでなく義母にとても嬉しいことだったと思っています。

義母の遺品のほんの一部、とても分厚くて重い、義母と義父の写真アルバムを何冊か、その他、相棒にとってはとても捨てられない遺品を少しだけ持ち帰ったのですが、その荷物はそのまま今でも私たちのアパートの玄関先にドカンと置いてあります。仕まう場所がないのです。あとで、あちこち片付けて、どこかに仕舞い入れようと思っていた私のその気持が、頭痛の出る日が多くなったことも手伝ってか、徐々に失われてきています。

一番こまるのが旅の思い出です。地図やら旅程やらメモやら写真やらが山のようにあり、整頓したくているのです。私たちにとって一番大事なものでも他人にとってはゴミと同じでしょう。だからこそ整理整頓しておかねばと思うのです。