ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

生きるということ

いつだったか、今年になって、ふと「生きる」ということについて今までとは少し違った気持が湧いてきました。それは、既に多くの人が言っていることなのですが、頭の方がうまく成熟できなかった私は、65歳にしてやっと「生きることとは学ぶこと」だと実感し始めたのです。若い頃は「生きる理由はなんだ」とか「目的はなんだ」と直接答えを追い求めていました。そのため、時に「何のために生きているんだ」という、ふてぶてしい疑問が湧くこと頻(しき)りでした。すでに「生きることとは学ぶことだ」という考えに辿り着いた人からそう言われても「では、生きて学ぶのは何のためだ」とくいついたりしたものです。

言葉で言われて分かったような気がしても、何か気持の面で合点がいかないことがままあります。それが今回、自分で初めて具体的に「あぁ、こういうことなんだぁ」と頭でなく心に感じることがあったのです。「生きることとはこうやって毎回学んでいくことなんだ」と感じ、その時は不思議と「では何のために学ぶのか」などという疑問は湧かず、素直にそのまま「学ぶのだ」と受け入れられました。

最近頓(とみ)にいろいろ煩雑なことが起き、相棒と一緒に対処していく内に「ああそうか」と思ったのです。煩雑なことを受け止める態度とか対処の仕方とかを考えることが生きることなんだと思ったのです。こういう目に遭った時、不幸だの腹が立つだの言っているだけで前に進まないのは生きることに淀みを与えるだけなのだと思ったのです。冷静に対処し一番良い方法で解決することが生きていくことなんだと思ったのです。そしてその解決法は何度も何度も失敗して学んでまた学んで習得していくしかないんだと思ったのです。

奇しくも、ある中華料理屋で出されたフォーチュンクッキー(笑)を開けたら

The good life is a process, not a state of being.
It is a direction not a destination.
と書かれている紙が出てきました。うゎ〜、偶然すぎる!
うまく訳せないんだけれど直訳すると『良き人生とはその経過であって状態ではない。目的(地)ではなく方向(行く道)である』もっと適切な意訳があると思いますけど、今は思いつかない。
要は私の実感したことと同じだと思うのです。ある人が、成功することを人生の目的だとして、成功したとしても、その人生がよいものであったかどうかは、その人がその人生をどう対処していったかによるものなのかも知れませんね。
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