ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

悲しかった思い出

5、6歳前後の子供って大人の機微が分からないですよね。最初の子供(長女)として生まれた私はかなりボンクラ無垢でした。そのころ、いつもいじめられている私に優しくしてくれるヤッコちゃんという年上の女の子が一緒のアパートに住んでいたのですが、しばらくして引っ越していってしまいました。たまに母の用事で一緒にその子の家に行くことがありました。ヤッコちゃんは「泊まってこなよぉ(いきなよ)」とおかしな言い方で、私に「帰らず泊まっていけ」と言ってくれる優しい子でした。私もそう言われると嬉しくてその気になってしまっていました。母はそこの奥様が嫌がっていることが分かるので、泊まることを止めたのですが私は泊まってしまいました。


ヤッコちゃんと楽しく遊んだあと、夕食になった時、美味しそうな天ぷらが食卓に出てきたので「わぁ〜、美味しそぉ」と私が言うと、その奥様が「あんたはコレを食べて」っと言って、私に煮豆の小さな缶詰をポンと渡しました。私は急に悲しくなって胸が詰まってしまいました。同じおかずで一緒に食べると思っていたのです。それでもその缶詰だけでそっと食事をしました。ヤッコちゃんが天ぷらを1つくれるかな、と思ったけど、おかぁさんに反発するようなことはしたくなかったのか、黙って食べていました。そこは3人の娘さんがいる5人家族なので、食費もたいへんだったのでしょうが、その時の私には分かりませんでした。

家でもあまり大事にされない私でしたが、よその家でも大事にされず、やっと大人の世界の複雑さに気が付き始めました。せっかく大好きなヤッコちゃんと一緒の食事なのに、ヤッコちゃんの母親に「あんたは別だよ」と冷たく扱われたこと、それが私の家柄や生活レベルと関係しているなんて、その頃はまだ分からず、ただ悲しかった私です。私が十代後半の頃、電車の中でその奥様を見かけたことがあります。着物を着て大変きれいにしていらしたのですが、黙っている様子が冷たい女性を思わせ、あの悲しい思いをぶり返すことになったので、知らぬ振りをしていた私でした。