ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

敵は幾万ありとても

一昨日、書き込みをしましたがブラウザーに不都合があり、その後に書き加えたものに上書きされてしまっていました。Windows10とエクスプローラーは相性が悪く、ブログの編集に支障がでます。下記は、ブラウザーをクロムに変更して、思い出しながらもう一度書き直したもので、オリジナルの文章とは少し異なっています。


一昨日、朝から ある軍歌が頭に浮かんできて、シャワーを浴びてる最中に自分の意志とは関係なく声を出して歌っていました。
❝ 敵は幾万ありとても すべて烏合の勢なるぞ 烏合の勢にあらずとも 味方に正しき道理あり...❞
故父が生前よく歌っていた軍歌の1つです。そう言えば、昨年の父の日のあたりに「戦友」という軍歌が頭に浮かんできましたっけ。その時は父が「父の日ぐらい私を思い出してくれや」と言っているのかなと思ったものでした。
今回、父の日の前後の週は自分の手術のことで手一杯だった私は父の日が過ぎてしまっていたことに今気が付きました。気長な父が娘の回復を待って、歌ったのかも知れないです。一緒に暮らしていた頃は、特に話をするでなく相談をするでなく、あまり情の通わぬ父と娘だったので、このように毎年父を思い出す自分自身が不思議です。
後ろ姿が悲しかった父。母はいつも「みんな父親が悪い」と父に向って怒鳴っていました。すると父は「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」と自嘲するようにトボケて返していました。父のことは親としての感情は殆どないのですが、ただ私がもう少し人間の機微の分る大人びた賢い子であったら、父のことを少しは理解してあげられたかも知れなかったと思うことはあります。父は長男のボンクラの典型。その点、長女の私も父に似てボンクラで奥手で、両親と暮らしている間は頭が未熟で、日本を離れてから少しずつ人間の悲しさを学んできたと思います。
父は来年も私に軍歌を歌うのでしょうか。そろそろ成仏してもいいのではないかなぁ。