ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

反面教師

やはり薬に頼ってはダメでした。ビュプロピオンの即効に糠喜びした私たちですが、数日前から義母は「泣き喚く日」と「静かな日」を交互に繰り返すようになりました。昨日、義母の部屋へ入ろうとすると同室の隣のベッドの老婆の娘さん(といっても60過ぎの人です)が出てきて「きょうの彼女(義母)は、もの凄ーく助力が必要よー」っと遠回りな言い方をしました。つまり、義母は辺り構わず泣き喚いていたものと思われます。

隣のベッドの老婆、L 夫人は無口ですが、知的な人で、本や新聞を読んだりテレビのニュースを聴いたりするほど頭の方は正常で、ネジの壊れたような義母に辟易している様子です。L 夫人は腕の骨折でリハビリに来ていたようですが、年なので、やはり歩くには歩行器を使っていました。最初は、娘さんに「そんな、諦めちゃダメよ」と言われるほど人生を諦めるような様子を見せていました。ところが義母を見ていて「自分はこの人よりよっぽどマシだ」(笑) と思ったのか、元気になって水曜日には退院することになりました。私たちが挨拶すると微笑んで挨拶してくれるようになりました。義母が反面教師で役に立った、ということかも知れません。

義母は心拍も血圧も正常で病気とは言えません。ただ、骨折部分はまだ完治しておらず、切開した手術の傷もまだ痛いため歩く気になれないようです。それを自分が病気だと思い込んで「あー、あー、ワタシャここで死ぬ」なんて言うので、私は吹き出しそうになるのを我慢して「あなたはどこも悪くないのですよ。骨の手術をしただけです」と言うと「どこも悪くないなんて、なんて事を言うんだ!」と義母は怒りだします。まるでどこかが悪いと言ってもらいたいような態度です(笑)。


立派な医師の完璧な手術を受け、術後の傷の回復もよく、あとはリハビリで筋肉を弱らせないようにすればいいだけ。普通なら喜びたくなるはずの状況なのに、義母が悲しくなるのは何だろうと考えてみました。

義母の悲しみはほかにあるように思います。見栄を張る人なので口に出して言えないことに排便の失禁があります。ほとんど寝たきりで運動をせず、鎮痛剤をのみ続けているので、排便に支障が起きるのは必須です。いまだにベッドパンを使っています。義母は多分、この状態がずっと続くと思うとたまらないのでしょう。前からオムツをしていましたが、トイレは自分でできたのです。それが今はまったく人の手に任せなければならなくなっています。諦めずに少しでも立ち上がって歩く練習をしてくれれば、筋肉を鍛えることが出来、傷が治癒したら、自力でトイレに行くことも可能かもしれないのですが、義母はすっかり諦めてしまっています。

このことについては話したがらないし、話を持ち出すと誰の話だ?と怒り出すので、諦めるなと元気づけることも出来ません。どのようにしたものか、と思案しています。失禁が直ると分かれば、義母の泣き喚きも少なくなるような気がするのです。

きのう、義母は私の名前を忘れていました。