ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

サンディが去って一週間

土日に少し市内を歩きました。ブロードウェイの59丁目から南は黄色のテープで封鎖されていました。他にもところどころ道路の封鎖が見られました。昨日はダウンタウンの電気がやっと回復したそうです。NYの市バスと地下鉄は土曜日まで無料でしたが昨日の日曜日から再び料金を取るようになりました。

興味深かったのは、マンハッタンを歩く人の大半が、子供までがキャスター(車)のついたキャリーバッグをゴロゴロ引っ張っているのです。スターバックスの店内にもバッグを持った人たちが多く座っているのが見えました。これは住まいが停電地区内で一時どこかに避難していた人たちなのだろうと勝手に解釈しました。

TVの報道などで、ハリケーンの被害で泣き喚いたり、レポーターに文句タラタラ(政府の救助がないとか)ぶつけている被害者たちをみて、日本の津波の被害者たちの呆然として泣くことも出来ない姿を思い出しました。これは天災の規模が違いすぎるのだろうか、国民性の違いなのだろうか、その両方なのだろうか、と考えたりしました。

しかしー、米国というところは泣き喚いたり文句を言ったりすると、それが効くところなので驚きます。怒鳴ったり喚いたりする人には黙らせるためにすぐに何とかするのです。黙って我慢する人は放って置かれます。私が育った時分の日本は「我慢」とか「辛抱」とか「寡黙」とかを尊敬の念を持ってみたものですが、米国では、少なくとも私が経験した限りでは、全く正反対に受け取られます。私はどちらかというと知らない人たちの前では「寡黙」なので「意見の言えない馬鹿」だと見られてしまいます。実はそうなんですけど(笑)。

ただ、私は一度だけ買いかぶられた経験があります。20年ほど前のことです。相棒のことを尊敬して止まない親戚の夫婦がいました。その家に招待された時、相棒のガールフレンドなら、さぞかし頭の良い娘だろうと思われたようです。何か意見を訊かれて「さぁ、よく解りません」と答えたら「いや、あなたは遠慮して言わないだけでよく知っているんだ」と言われて、ひどく恐縮してしまいました。こういうことは後にも先にもコレ一度限りでしたけど。蛇足ですが、その夫婦のご主人の方は目が見えない人でした(笑)。私の顔を見ることができたら、やっぱり馬鹿だと思ったかもしれません。