ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

喉元過ぎれば

16年前の今日、よく晴れた朝突然に...昔の映画の邦題にそんなのがありましたっけ。

昨日、相棒がふとあの惨事の日付けを気が付かせてくれました。言われなければ耄碌した私は忘れて過ごしてしまったかも知れません。

あの日マンハッタンは映画のシーンそのものでした。

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ツゥィンタワーは、私がNY市に来てすぐ建設が始まり、ギンギラギンのメタルが高く積みあがっていくのを私も眺めていました。

出来上がったビルの100階あたりのオフィスに勤めたこともあり、風のある日はギィ、ギィと音を立てながらビル全体がゆっくり振り子のように揺れているのを感じたこともありました。揺れを身体で感じるというより窓の外を見ると景色が微かに揺れ動いているのでそう感じたのだと思います。40数年前の話。

そして16年前にそのビルが2つとも崩壊。1つが黒煙を上げて崩れたあと、2つ目がこれでもかと崩れていき、数千人が死亡。めったに驚かないニューヨーカーもこれには驚き慄(おのの)いた。そして暫くNY市は不思議な静けさの中にありました。悪人も動くのを止めたような静けさでした。

これだけのことをされてもNY市のレフティストは変わりませんでした。元の木阿弥。今のNY市は再び汚くなり、酒まみれ薬まみれの連中が街をうろつき廻り、間接的にソロス爺さんから送り込まれてくるホームレスたちが路上に座っているのです。

乞食に金を与えても助けにはならないのに、親切そうに話しかけたりお金を上げたりしている人が絶えない。だから乞食を商売にする人が絶えなくる。モノを上げようとすると「そんなモノはあるんだ。金をくれ」っとなるのです。商売用の汚い服や靴を身に着けている乞食に、ある人が同情して自分の靴を持ってきて上げようとしたら「靴ならある」と言われたという話は私が時々ここに書くのでまたかと思う人もいるでしょう。何度でも言いたくなる話なんです。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言ったものです。一時はキレイになったNY市ですが、またまた汚くなったというオハナシでございました。