ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

僕でよかった

私が子供の頃、残念ながら周りに尊敬出来る大人はいませんでした。「何で私だけが」と自己の不運を恨んだり、「何であいつだけが」と他人の幸運を妬んだりする大人ばかりをみていました。げに恐ろしや!私の母が事毎に「何で私だけが」と言う人間そのものでした。だから私も世の中はそういう風に考えるものなのだと疑わずに育ちました。そのことで母を恨んだこともありましたが、それでは私自身が「何で私が」という人間になっているではないかと気付き、反省いたしました。

さて、数年前、私が「僕でよかった」という言葉を聞いてハッとさせられたのは、アラスカ州知事サラ ペイリンの話でした。

ペイリン夫妻は5人の子供がいて、最後の子供はダウン症を持って生まれました。サラさんは「何で私たちにダウン症の子供が生まれるんだ(Why us?)」と嘆いたそうです。すると夫のタッドさんは「僕たちだから授かったんだよ(Why not us?)」と言ったそうです。僕たちだからダウン症の子供を育てることが出来る、とタッドさんは言いたかったのでしょう。それを聞いた時、うわぁ、カッコイイ旦那様だなぁと心から思いました。こういう風に思え、またそれを実行できる人を私は尊敬して止みません。

 

次にそれを聞いたのは、相棒の従兄の葬儀の時でした。従兄は911テロ事件で現場にいて灰を被りました。その数年後に亡くなった従兄は (皮膚が溶けていく恐ろしい癌だったようですが) 不満や不安さなど全くみせず、親戚たちさえ彼の病気を最後まで知らずにいました。

従兄の友人が式に臨んでスピーチの中でこう言いました。

「私が『何で君がこんな酷い目にあわなきゃならないんだ』と言ったら、彼は『僕でいいんだよ。僕だから我慢できる』と言いました」と。

この従兄は、ウォール街のトップ層にありがちな威張った態度もなく、人に優しく、中間層が住む地味なアパートに住み続けるような人でした。自分がもっと謙虚にならなければいけないとつくづく感じたものでした。

 

そして今日、YouTubeを見ていて、また「僕でよかった」と言う言葉を聞いたのです。

まだ若い20代の男性でしたが癌にかかり、進行が早く、その苦痛は耐えられないものであろうに、家族の前では穏やかしていたそうです。ある時、苦しそうな若者に母親が「出来るものなら私が代わってやりたい」と言うと「なに言ってるの、かぁさん。かぁさんじゃ耐えられないよ。僕でよかったんだ。僕なら耐えられる」と言ったのだそうです。

苦境の中で何も恨まず、黙々と現実を甘んじて受け入れられる心を持つにはどうしたらいいのかと、考えてしまう私でした。