人生の黄昏

昨日、相棒の叔母(故父の妹)の訃報がありました。私たちは一昨年、叔母さんの100歳の誕生日にケーキを持って老後施設へお祝いに行きました。享年101歳3か月。もっと生きていて欲しいと思ってしまうのは生きている者の我儘でしょう。殆どベッドに横たわったまま長く生きていくのは辛いと思います。叔母さんは新聞を読んだり、看護士さんと近況を話したり、車椅子で外に出たりして暫くは元気だったらしいのですが、数日前から寒気を感じてそのまま逝ってしまったそうです。

私も自分の命が残り少なくなっていることを感じ始めています。願わくば、最後まで人に頼らずに、つまり自分で歩行できる状態でいたいと切に思います。

病気や事故など、私の年齢で亡くなる人は珍しくありません。考えれば、私は医学の進歩でここまで生きながらえてきました。赤ん坊のころ、何かの菌に侵されて目が腫れ尻が腫れ、医者の治療で盲目にならずに済んだようです。そのお医者さん、貧乏な母からお金をとらなかったそうです。子供の頃の麻疹、虫垂炎、成人してから肺炎、甲状腺癌、椎間板ヘルニア、股関節置換等々、医学の恩恵に預かり、多少支障はあっても今のところ一応五体満足に生活しています。

しかし、私のテロメアも短くなってきたようです。何かをしようとしてそこに来たのに記憶が切れたようにボーっと突っ立ってることがよくあります。「老いた」と認めざるを得ない状況に何度も何度も突き当たると、生きるということに執着心がなくなってきます。そうなると物欲もなくなります。ただ、あまり心が黄昏てしまうと気力がなくなってしまい、周りに迷惑がかかるので、その時が来るまでは、ある程度、生きることに興味を持つことに努力しています。