ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

メモリアルデー休日

数カ月前、ドイツ在住の相棒の友人から電話があり「脳梗塞で倒れ、リハビリの最中」と伝えてきました。相棒が語学の天才と尊敬するその友人が、その時、書くことさえ不自由になっていたことに心底心配した相棒は、常々その友人に会いに行かねばと思って数年経ってしまっていたことを反省し、今年こそドイツを訪れようと考えたようです。幸い、その友人は今では元の天才に戻ってイタリアで講演するまでに回復しています。f:id:nykanjin:20190521225648g:plain

っということで、今週末からドイツ北部へ10日ほど行ってまいります。ハンブルグからベルリンまで下ります。今回はノンビリした田舎ではなく大都会。そしてドイツ語はトンチンカンで分からない私。トイレは有料、レストランでさえも有料なところが多いらしいのでコインを持ち歩くことにします。Wo ist die Toilette? (トイレどこ?)  だけ憶えておこう(笑)

ドイツには相棒の故父親の軍隊がD-Dayの戦いのあとに進軍していったユダヤ人収容所もあります。そのルートを辿って父親を偲ぶことも相棒は考慮(D-Day上陸地点であるノルマンディーを相棒は若い頃既に訪れています)。

今回ポツダムも訪れる予定です。「ポツダム宣言=無条件降伏」という感が日本人ババァの私にあるため、ポツダムはあまりいい響きではありませんが、世界遺産にもなっている土地だとか。豪華な宮殿の数々は一時期スターリンが分捕って使っていて米英ソの会議場所に提供したようです。ヤルタでもポツダムでも米英ソの親分同士が「敗国処分」と「領地の山分け」の相談をした所ですが皮肉にも美観の地。「植民地領土」が当然であった連合軍の親分たちが会議をした場所を冷ややかな目で見てやろうか(笑)と思ったけれど、きっと建築物の美しさに感嘆してしまう私だと思います。

4月30日付のコラム O. Henryと白アスパラガス - NY閑人浮草考に、私が子供の頃読んだオーヘンリーの白いアスパラガスの話を書きましたが、奇しくもドイツでは今がアスパラガス祭りの真っ最中。それがとても楽しみです。