ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

見つめる鳩

昨日の日曜日は日差しが強く、暑く、そしてかなりの湿気がありました。気温は27℃まで上がり湿度が75%という高さ。午後5時過ぎにセントラルパークを散歩したのですが、まるで日中のような日差しで暑さに強い私も歩くのがだるくなり、木陰のベンチに座って相棒と二人で暫く休んでいました。
すると目の前の少し離れた石畳に一羽の鳩が降りてきて、こちらを見ながらモソモソと香箱座りを始めたのです。そして地面にピッタリお腹をくっつけてチンマリと座り、オレンジ色の目でこっちをチラチラみています。私が鳩の方を見ると鳩は目を逸らし、私が目を逸らすと鳩はまた私の方を見ていました。何かを訴えているようにも思えました。最初は餌でも欲しいのかなぁ、と思ったのですが、鳩が餌を欲しい時はチョコマカチョコマカと歩き回るのに、この鳩はジッとしています。まるで私たちと一緒に休んでいるような様子をみせます。

鳩は、時々人が近くを通ると、それを避けるように少し場所を私たちの近くにずらして座り直しました。そんなことを2、3度ほどして、かなり近くにチンマリ休んでいました。座り直す時にチョット歩いた鳩が少しビッコを引いていることに私は気が付きました。私たちに足を直して欲しいと訴えているのかな。鳩の右足が少し変形して膨らんでいるようなのですが、怪我はかなり前のようで変形したまま傷は癒えている感じでした。
しばらく平和な感じで私たちも鳩も休んでいたのですが、なんとオスの鳩がやって来てこの鳩を追いかけ始めたので、鳩は飛んで逃げました。逃げた方向を見ると、また地面に舞い降り、ヒョッコラヒョッコラ歩いているのをみて可哀そうでなりませんでした。
相棒は「携帯で近くの動物病院を探し始めようとした」と言いました。鳩を驚かせないように捕まえるのも大変だし、向こうへ行ってしまったのだし、と心残りではあったけれど相棒を促してそのまま散歩を続けました。
帰宅してから「傷ついた野鳥の保護の仕方」をググった相棒が「箱に入れて保護する」とあるのを見つけ「セントラルパークに行くときは箱を用意して行かねばならない」と言いました。私が冗談半分で「鳩だけでなく傷ついたリスやらロビンやら見つけたらどうする?」と訊くと相棒は「箱を3つ用意して行く」と言いました。折り畳みの箱でもみつかればいいですが、ま、パークレンジャーに任せておくのが一番だと思います。
余談:私と相棒は以心伝心で、相棒も「折り畳みの箱」のことを考えたと言ったので二人で笑ってしまいました。時々同じ時に同じことを考える二人です。

インビザライン最後の日

きょうはインビザライン着用最後の日、のはずだったんです。朝、歯科医に行きました。
一応曲がっていた下の歯1本は真っ直ぐになりました。着用時に歯に付けた痛いイボイボを削ってスムーズにしてもらい、やっとスッキリしました。
さぁて、これでお終いだ、っとほくそ笑んでいた私に、歯科医が後出しみたいに「今後1年間ほど夜にインビザラインを着用して就眠すること、そうしないと元に戻る可能性がある」と言いました。その治療費はまた別払いです。うひょー、いろいろと後出ししてくる歯科医だなぁ、と思いました。
ま、はじめに私が治療について詳しく質問しなかったのも悪いのでしょうが、どんな治療をするか分からないのですから質問のしようもなかったんです。この歯科医はイボイボ(定着用のポッチ)についても前もって説明してくれなかったし、着用時間(1日22時間)についても曖昧だったし、隣り合わせた歯の横を削り隙間の調整をすることも説明がなく、この最後の「治療後1年間、保護用のインビザを着用すること(治療代別途)」など、ちょっと後出しとしては計画的な感じがしました。治療の都度、え?え?と思いながら治療されるままにしていましたが、イボイボは恐ろしく痛かったので、治療前後にもっと説明が欲しかったです。それとこの治療後の保護治療なんかも先に伝えてもらえたら心の準備が出来たのにと思います。
たった1本曲がっていただけなので整形歯科治療してしまえば楽だったと思います。料金も1本なら安く済んだはずです。健康な歯を無駄に削ることを避けたかったので矯正治療を選んだのですが、矯正治療でも他の歯を少し削ってスペースを作ったりするとは知りませんでした。更に整形治療では保険は効かないと覚悟していましたが、インビザ矯正治療は保険が効くと思っていました。ところが保険対象者は19歳以下で、ババァの私はカバーされませんでした。それで治療費はかなり高くつきました。
たった1本の歯でも矯正はいろいろと面倒臭いものだと知りました。"learn the hard way"という言い回しがあります。「失敗して学ぶ」「痛いめにあって物事を学ぶ」「悪い経過や結果になって反省し、そこから学ぶ」といったところでしょうか。このインビザライン治療は私にとってそんな感じでした。

海ゆかば

2日ほど前、なぜか『海ゆかば』の歌が頭に浮かびました。何だろと思ってwikiをみてみましたが、特にこの日に関係することは見当たりませんでした。ただ、歌詞が大伴家持の長い詩の一節であると知りました。千数百年前の詩が今でも歌われ人の心を打つことに感心しました。
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ

グーグルの似非英訳を見ている相棒のために歌詞の英訳を載せます
If went to the sea, be a corpse immersed in water
If went to the mountains, be a corpse in growing grass
To die only for the emperor
Never turning back (never regret)

人間は何か心の糧、精神の柱、永遠に敬うもの、つまり神とか王とか天皇とか、そういうものがあると秩序が保てるようです。それが崩壊すると共産主義のようなカオスとなる。だから信じる信じないは別として、神も王も天皇もあった方がいいと思います。税金の無駄と思わず、保険料だと思えばいい(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=bMOgexomMAE

『海ゆかば』が浮かんだあと、ラジオで父の日が来ると言ってましたので父からのサインかな。父はいつも軍歌を歌っている人でした。『戦友』をよく歌っていました。戦友が一人もいなかった父が歌っていました。父が父の日に思い出して欲しいということならば『戦友』が頭に浮かぶはずだから、父からのサインではないのかも知れません。
そう言えば、今年は母が母の日の前に電話をしてこなかったので花を贈りませんでした。電話をしてくればそれが催促のように思えるので贈ることにしていたのです。母の周りにはたくさんの人がいるから、近くにいない私は静かにしていた方がいいように思うのです。

ちっとも速くないFIOS

光ファイバー回線で速いって聞いていたけどぜんぜん速くない。サイトをダウンロードする時間はDSLの方がずっと速かった。
FIOSだとワイヤレスのキャッチが悪くて、あの丸い印がチンタラチンタラ回って、なかなか完了しない。
我慢できなくて途中からマウス使い始めるとポインターが出てこなかったり動かなかったり、まるでマンハッタンを運転するようなイライラ感がマックスになる。
電話会社のやつめ、FIOSの中でもさらに高速だからと追加料金までとったのに、なんだこの遅さ、詐欺だ!

マンハッタンの渋滞

NY市、ここ1週間ほど日中33℃に上る暑い日が続いています。先週日曜日も暑い日でしたがロングアイランドまで出かけることにしました。相棒の両親の墓参りです。最近、車を使わないので去年新しくしたばかりのバッテリーが上がってしまうことが多く、バッテリーチャージも兼ねての遠出です。
さて、夏のマンハッタン、週末はパレードやストリートフェアでアチコチの道が塞がれることが多いのです。先週日曜日もプエルトリコパレードが五番街(地図紫線)であることウッカリ忘れていました。いつも使うセントラルパークを東へ突っ切る道(黒線)に向かうと、通行止め。しまった!と思っても遅い。ムカつきながら回り道して引き返し、57丁目へ向かいましたが、いつも以上に混雑していました。ノロノロ渋滞が続き殆ど進まず、その上やっと7番街まで来たと思ったらその先は通行止め。
ロングアイランドへ渡る橋まで行くのを2度も阻まれたので橋は諦め、ミッドタウントンネルを使うことにしました。西に廻って下る道がまたバンパーtoバンパー、センチメートル刻みにしか進みません。それでもやっと30丁目まで下がり、そこから東へ行きトンネルへ行く道に出ると、そこも通行止め。仕方なく少し遠回りしてやっとトンネルの入り口へたどり着きました。
トンネルを抜けて時計をみたら、自宅を出てから3時間近く経っていました。マンハッタンを抜け出るのはいつも大変で1時間はかかります。それを見越して出てきたのですが、まさか3時間かかるとは思いませんでした[黒線一本で行けた道を阻まれ、オレンジ点線のノロノロ運転]。
そんなこんなで、墓地に着いたのは閉まる時刻15分前。一度墓地に閉じ込められたことがあるので、私は気が気でなく、急いで義両親と義叔母夫婦たちの墓参りを済ませてサッサと出てきました。[前にも書きましたが、4年ほど前、一度、この墓地に閉じ込められました。閉まる時刻をかなり過ぎていたため、門が閉まって出られなくなったのです。私は墓地で一夜明かす覚悟までしました。幸い、メンテナンスのおじさんが用事で戻ってきたので、門を開けてもらえました。墓地で一夜明かすのは構わないですが、警察沙汰になるのは困るのでもう二度と閉じ込められたくない私なのです]
お墓参りの帰り、ポートワシントンに寄りました。浜にカナディアンギースの家族(夫婦と6羽のヒナ)が長閑で幸せそうにしている姿が都会の喧騒をしばし忘れさせてくれました。

ストロベリームーン

一昨日の9日が満月だったのですが、昨夜も見ることができました。
とても明かるく輝いていて、まるで月自身が光を放っているかのよう。しばし太陽の光を反射しているということを忘れてしまうほどでした。
今年一番小さく見えるとのことでしたが、輝きが強いせいか少しも小さく見えませんでした。[写真は借物]
ストロベリームーンは苺の収穫時期の満月であることからアメリカインディアンが名付けたらしいです。それじゃhoneymoonはハチミツの収穫時期の満月なのかと思ったけど、Wikiには満月とは関係ない由来が説明されていました。

芙蓉の思い出

昔、目蒲線の目黒駅近くの社宅に住んでいた頃です。60年近く前になるかな。

一階の台所の窓の下の陽に当たって妙に白々しいコンクリートの壁に美しい大輪の花を見つけました。一本だけの茎は花の美しさに似合わず凄く太く、葉は大きく、凛としていた、と記憶します。
何でこんなに綺麗な花が種も植えないのに咲きだしたんだろうと子供の私は不思議でしようがありませんでした。そして母に花の名前を訊いたのです。「何だろねぇ。芙蓉かな」と母は言いました。母は野の草花のことは知っていたようです。
私が「きれいだなぁ」と喜んでいる様子をみて、人の幸せな顔が嫌いな母は「すごく増えるんだよ。頑固で引き抜きにくくなる」と言ったような気がします。確かに茎がず太い。そこだけまるで私みたいで親近感を覚えたのでしょうか。
私はこの花が増えるのを楽しみにしていたような気がします。確か、2本か3本に増えたような気がしますが、これも記憶違いかも知れません。
四季のある日本の花らしくない、艶やかなピンクの大輪。今思えば、ハイビスカスと同科なので元は南国の花なのだろうと思います。最近になってタチアオイとかムクゲという似ている花のことを知り、昔見た芙蓉の花を思い出した次第です。