ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

名古屋のおじさん

きのう、大好きだった伯父をふと思い出して、涙が出てきました。『伯父さん、ありがとう』という涙でした。伯父が亡くなってから十数年たちます。幼い頃、周りから下僕(笑)扱いされていた私ですが、この伯父だけは私を心ある人間の子供として扱ってくれました。

私が物心ついた頃、伯父は名古屋に住んでいたため、私はいつも『名古屋のおじさん』と呼んでいました。伯父が東京まで出て来ることは滅多になく、伯父が来るのは私の最大の楽しみでした。伯父は畳に上向きになって足に私を乗せて『高い高い』をして遊んでくれました。普段、子供に見向きもない大人たちに囲まれていた私は、百パーセント私の相手をしてくれるこの伯父がもう好きで好きでたまりませんでした。相手にしてくれるだけではありません。伯父は絵が上手でした。手先が器用で何でも作れる人でした。英語を話す人でした。喋り始めた私に『アイ、ノーズ、マウス』と顔の部位を教えてくれて、次に来た時に『コレ、英語でなんて言うの?』と指差して訊きます。私は皆憶えていて答えると『よく憶えているねえ』と嬉しそうに笑う伯父でした。

私の三才の七五三のお祝いは、表向き、お金がないという理由で両親はしない積りでいました。それでは可哀想というので、伯父は私にお祝いの着物一式とポックリを買ってくれました。伯父もお金がある人ではありません。それでも私のお祝いのために買ってくれました。伯父は、この子が大きくなった時の思い出のためだと思ってくれたのでしょう。私の三才のお祝いの写真があるのは伯父のお蔭なのです。私は成人式もしていませんので、お祝いの写真はこれ一枚です。

伯父に『何か絵を画いて』と頼んだら『よし、じゃ、犬の絵を画いてあげる』と言って紙に画き始めました。私はてっきり極一般的な横を向いた四足の犬を画いてくれるのかと思って、じっと紙を見つめていました。ところが伯父は何やら紙いっぱいに四角くボサボサと輪郭を画いていくのです。私は『なんじゃ?』と思いながら見ていると、その四角いものが段々 スコテッシュテリアの顔になっていくではありませんか。子供心に『さすがは名古屋のおじさんだあ』と思い、嬉しくてたまりませんでした。

私が小学生になってからのことです。私はキッチンで焼飯を作っていました。お醤油と濃厚ソースを混ぜて味付けしていました。すると、遊びに来ていた伯父がキッチンにやってきて『ワア、醤油とソース混ぜるなんて、ひどい味になりそう』と言うのです。実はそれが下町風でとても美味しいのです。醤油とソースが妙に調和するのです。大好きな伯父に自分の好きな味を分かってもらいたくて、私は必死に『うううん、それが、美味しいんだよ、おじさん、ぜったい美味しいんだよ』と訴え、一口食べてもらいました。伯父は『お、ほんとだ。美味しいねえ』と言ってくれました。私はもう、嬉しくてたまりませんでした。伯父と居るといつも嬉しくてたまらなかった私です。おじさん、いい思い出、ありがとう。