日々老いる

ここ数週間、胃の調子が悪く、頻繁に偏頭痛が起こります。更に肩甲骨の辺りが張って苦しくて何をするのも億劫になります。

今まではヒートパッドで温めたりマッサージ機で揉んだりしていれば苦しい痛みは消えていたのですが、最近は毎朝のように張りが強くて苦しいので早朝からバスタブに浸かって身体を温めたりしています。エクセドリンを飲む回数も増えて、頭痛がすぐ消えることもありますが、時々はいつまでもジクジクと痛みが続き、吐気を感じるので太田胃散が手放せなくなっています。

愚痴を言うつもりは毛頭ありません。ただ自分の身体の状態を記しておいて覚書にするつもりでいるのです。身体が少しずつ老いてきているんだろうと思っています。人の細胞は7年ごとにすっかり入れ替わるとか何かで聞いたような気がします。あと2年数カ月で私の細胞も10回入れ替わることになる。1回ごとに細胞の質も落ちていくのでしょう。

老いて苦しい身体になっても、若い頃に戻りたいとは一度も思ったことはありません。一生は一生です。二生あってはならないと思うんですよねぇ。

Loving Vincent 観ました

Loving Vincent

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ゴッホの個性的な筆のタッチをそのまま表現、彼の色々な絵が各シーンに現れるので、ゴッホファンにとっては美味しい作品になっています。

最初に人間を使って撮った作品に後からその一コマ一コマを絵の具で塗ったように仕上げる、という試みをしていると思います。回想の場面では白黒になっているのですが、絵の具を塗る手間を省くための苦肉の策であろうと推察しました。

私はスクリーンの絵に目が行き「この塗り方は雑だ」とか「これは同じ人物を違う人が塗ってる」など絵の出来具合が頭をかすめ、セリフを無視したりしていました。

この作品ではゴッホの死ぬ前後の様子から、自殺でなく愚かな事故であっただろうと思わせるストーリーとなっていて興味をそそります。どちらにしろ、これだけの才を持ちながら何とも不運な生涯を送った画家ではある、と思わずにはいられません。

作品としては、画面が少し雑過ぎました。もう少し時間を費やして綺麗な作品に仕上げて欲しかったです。

Lucky (2017) 観ました

Lucky (2017)

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今年9月に91歳で亡くなったハリーⅮスタントンの最後の作品。

トボケたドラマ。

顔は髑髏(どくろ)に近く、身体も骸骨に皮膚を被せただけの骨川筋衛門の老体ではありますが、長いセリフを覚え、力強く歩くスタントンの姿は90歳を過ぎているとは思えません。

主人公が第二次大戦で海軍のコックであったこと、沖縄戦を経験したこと、最後まで独身であったこと、歌が歌えること等々、スタントンの自伝のような作品です。「兵士でなくコックだからラッキーだと渾名を付けられた」などセリフに出てくる冗談は多分スタントン自身のものだと思われます。

朝起きてコーヒーを飲み、ストレッチ体操をし、外に出て馴染みの食堂でクロスパズルをしながら朝食、そして散歩、家でもクロスパズル、夜は馴染みのバーでブラディマリーを飲む、というのがこの老人の日課。家の中で、クロスパズルをしていて分からない言葉があると老人はどこかに電話を掛けて相談するのですが、受話器の向こうの相手が観客には最後まで不明のまま。この辺のシーンは若い人にはスロー過ぎるかも知れません。

ネタバレの1つになりますが、あるメキシコ人の一家のパーティに招かれた老人が、スペイン語で静かにVolve Volveを歌い出すのです。90歳の老人にしては上手だと思ったら、スタントンは私生活でも自分でバンドを組んで歌手をやっていたと後で知りました。

「一人で居ることと孤独とは違う」「死ねば、あとはただの無だ。魂などというものはない」という主人公。老いた頭に過(よぎ)る恐怖を克服しようとする姿勢を見せます。

うすらトボケたジョークがそこかしこにあり、私たちのようなシニアには可笑しみがあって面白かったです。

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私がスタントンという役者に気付いたのは「ストレートストーリー」という1999年の作品。最後のシーンにちょっと出るだけなのですが、スタントンが顔で一瞬の演技をします。自分の死期を知った兄が最後に弟(スタントン)に逢うため何日もかかって遠くから乗って来たオンボロのトラクターを見つめる目。「アレに乗ってきたのか...」 それがあまりにも心に沁みたのでとても印象に残りました。

退廃進む街

今日はコロンブスデー。昨日から、マンハッタンのコロンブルサークルに立つコロンブスの銅像を「取り外せ」とレフティストが騒ぎ立てています。「コロンブスは奴隷制度白人主義の一端を担った」という曲解を広めようとしているのです。騒いでる連中の歴史の解釈は極左過ぎるが一理あるなどと思ってしまうと罠にひっかかります。連中は歴史さえ知りません。ただ言われたままを繰り返し、日給20ドルほど貰って騒ぎ立てている日雇い人なのです。日給を払っているのはレフティスト黒幕ソロス爺さん、または爺さんに連結した連中でしょう。

マンハッタンはネズミとゴミの街と化しています。街の地下から異臭が漂い、夜歩けば目の前をネズミがチョロチョロなんて日常茶飯事。公園の池から死体が数体見つかったりします。歩道に座る浮浪者の数も年々増え、デブラジオが市長になってから街の汚さに拍車がかかっています。

NYの一般市民は、銅像を壊せなどと騒ぐより、ネズミ退治や異臭対策を叫ぶ方が先だと思っている人もいるのですが、それは少数派で、似非市民の日雇い連中が騒ぐ方が目立ってしまいます。

もうすぐ市長選。デブラジオが再選されることになってます。NY市は堕落した民主党(正体は共産党)に侵されているからです。

♪ Just Walking in the Rain ♪

一昨日、朝起きると掲題のメロディが頭に浮かびました。そして昨日の朝も同じ歌が浮かんだので、何だろう?と思ってウィキをみたら「この曲は囚人によって作られた」とありました。それも受刑中の囚人。

囚人二人が散歩の時間に中庭に出ると雨が降っていて、囚人の一人が「みろよ、こうして俺たちゃ雨の中を歩いてる。そして彼女はどうしてるのかと思ってる...」というと相方の囚人が「なんか歌が出来そうだな」と言ったので、その囚人の一人ブラグがさっそく曲と歌詞を作った、のだそうです。

♪ ただ雨の中を歩いてる

♪ ビショ濡れになって

♪ 心痛めつけながら...

♪ 人は呆れたように窓から見てるよ

ブラグは服役中に「The Prisonaires」というグループを作って曲をレコーディングしたら一部ヒットしたそうです。メンバーには殺人犯もいたとか...!

しかし、全米ヒットとなったのはJohnnie Rayという白人が少し歌い方を変えて歌ったバージョンの方。私もこちらの方に慣れてます。

囚人が作ったというのは興味ありますが、しかし、なぜ私の頭にこの歌が浮かんできたのか、意味は分かりません。とくに意味はなかったのでしょう。

本棚の思い出 老いぼれジェイク

下欄に私の記憶の衰えを述べましたが、旅の記憶もどんどん消えていきます。しかし写真をみると思い出すことも多々あります。

昔フィルムを使用していた頃は現像やアルバム作りなど手間がかかったものですが、今は撮り直しも消却も自由なデジタル式で現像せずチップスにそのまま保管しておけばいいので非常に楽になりました。消せると思うので要らないものまで撮ったりして、1週間以上の旅では一人千枚以上撮っていることもあり、自分ながら驚かされます。

チップスに保管していると写真をながめる機会が少なくなりますので、気に入ったものを印刷して額に入れ、本棚に飾ったりしています。

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3年ほど前に訪れたペルーでは、まだ子供のアルパカやラマに囲まれて、文字通り嬉しい悲鳴をあげました。顔を近づけてくるアルパカは子供なので動きも優しくて本当に可愛いのです。最初は餌が欲しいのかと思ったのですが、ただ一緒に居たいだけのようで私たちの嬉しさも一入(ひとしお)。見つめ合った相棒の大きな目とラマの大きな目がソックリなので「あんたたち親戚?」と冗談がでます。ペルーの人たちにとっては何でもないことですが、私たちにとっては至上の喜びでした。

私たちは旅の記念は写真だけ、お土産は殆ど買いません。荷物になるからです。ただイタリアのトスカニー地方に行った時アラバスタだけは1つ買いました。相棒が見つけた小さなボール1つ。禅の趣があります。他にも美しくて素晴らしい品はたくさんありましたが割れることや荷物の重さなども考えて買いたい気持を必死に抑えましたっけ。

アイダホで馬に乗った時の写真も額に入れてあります。スポーツが得意でない私たちがこの写真では一端のカウボーイに見えるのです。写真だけで信じてはいけない(笑)。

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私の乗った馬が老いぼれジェイク。相棒の乗った馬は優しいビスケット。ビスケットはいつもジェイクを労わるように見守っていました。ジェイクが老獪だと分かったのは帰り道でのこと。自分が肥満体なので重いだろうと私が老いぼれの彼を心配していると分かるとジェイクは疲れきったように地面に届きそうなくらい首を垂れ始めるのです。私が心壊れるくらい心配して「あ、ジェイク、ジェイク、しっかりして、大丈夫?」と言いながら首をマッサージすると、ジェイクは少し首を上げるのですが、私がマッサージを止めるとまた首を垂れだします。それの繰り返し。先を行くビスケットは「ジェイクめ、またやってるな」っというような顔を時々向けていたような気がします。最後に馬を降りた時もジェイクはサッサと向こうを向いてしまいましたが、ビスケットは私に顔や口を近づけてきて「ジェイクにマッサージありがとう。元気でね」と言ってくれました。勿論、言葉でなく態度で。私はジェイクの狡猾さを思い出すと今でも可笑しくて笑ってしまいます。それがまた楽しい。

 

相棒はゴチャゴチャしたものが嫌いで、最初、本棚に写真を置いたゴチャゴチャ感が気になったようですが、今では写真を見ては思い出に浸っています。

朧げなる記憶

YouTubeで日本のクイズ番組をみていたら「モナリザが日本で初公開されたのは1974年」とありました。あれ?ワタシャその2年前に日本を出ているのに、そのモナリザを見た記憶があるんだわぁ。

どの年だったか考える時、いつも「日本を離れる前だから」とか「まだ日本に居た時だから」と逆算していたので、モナリザも1972年より前だと思っていたのです。

美術館内で長い列に並んでノソノソ歩き、やっと彼(か)の絵の前に来てみると薄暗い照明の中にがっかりするほど小さな額があるのを見た記憶があります。っということは74年に私は日本に帰っていて、たまたまモナリザが来たので見に行った、とも考えられます。まさか見てないのに見たという記憶になってしまったということはないだろな?

何にしろ、観てもあまり感激しなかったことを憶えています。絵を見た時、感激のあまり背中にゾッと戦慄に似たものが走ったのはモネのでっかいハスの絵の一枚でしたっけ。ダビンチにそれを感じないのはクラシックやルネサンスに対する私の波長がズレているからでしょう。ま、ズレたものはズレたまま美を楽しめばいいのだと思っています。

私は数字が苦手。電話番号など憶えられません。日付や時間が錯誤してしまいます。歴史でも年代が定かではなくなってます。自分のことでも相棒に「いつだったっけ?」などと訊いてしまうのです。それで日本を出た日を基準にすることを1つの手段としていましたが、その方法も前述のように定かでないと気が付きました。ま、人生の大半済んでしまったから、もうどうでもいいけど。