ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

Like Someone in Love 観ました

昨日の土曜日、夜は寒く、雪もチラホラ降ってきました。それでも相棒は週末に何かしたくて、夕食後ジャズでも聴こうと少し歩き回ったのですが、具合のよいものが見当たりませんでした。がっかりしている相棒に「[自宅]近くの映画館で妙な映画やってるよ。時間もちょうどいい」と私が教えてあげました。それがLike Someone in Loveです。

実は私自身、どんな映画がよく分かりませんでした。日本人が出ているけれど監督は日本人でなく、製作も外国との共同というのは、なんだろ?と思っていました。相棒も半信半疑でしたが観てみることになり、いったん帰宅しました。

歩いて5分の映画館ですが、近道をして、前の通りの有料駐車場を突っ切って行ったので2分で行けました。時間が来ると空席がみな埋まってしまったのが意外でした。そして更に意外だったのは作品は全部日本語だったこと。監督はどうやって演出したのだろう?と思います。

ドラマのようであり、コメディのようであり、何を言わんとしているのか分からない作品でした。終わりもかなり唐突で、それが奇をてらったものか、それともストーリが中途半端なので誤魔化そうとしたものか、などと思ってしまいます。普通、中途で終る作品はよい余韻を残してくれるものですが、これは「な、なんだ」とムッとさせます(笑)。この作品、カンヌ祭に出品されたそうですが、カンヌ祭にはこういうモノが好まれるようですね。

主演の女優さんは大変きれいですが、役柄のせいか何の魅力も感じませんでした。セリフは自然でしたが、それが反って嫌味に思えたのは私が物語の中の女性を好かないと思ったからでしょう。見た目の他は何もいいところがない、どちらかというとジメジメして物騒がせな女性に老人が即親身になるのが悲しいです。人間、どんなに立派な人でも年老いると馬鹿になるということを思い知らされます。(「馬鹿」という表現では誤解があると思い、別の表現を探したのですが見つかりませんでした。騙されやすくなる? 無理に信じたい、騙されていたい? そういう老人の傾向を利用して老人に詐欺をする人がこちらにはたくさんいます。自分の老後を思い、自粛のつもりで「馬鹿」と表現しました。)
この作品がフランスとの共同制作である意図はなにかと思い、インターネットで調べてみました。近年、国際共同制作の作品に文化庁から援助が出るようになったことが背景にあることが分かりました。しかし、なぜ監督にイラン人を採用したのかまでは分かりませんでした。