ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

一進二退の義母

日曜日、ハリケーンが通り過ぎたあと散歩がてら西から東まで歩いて義母のいるリハビリセンターまで行ってみました。セントラルパークを横切る道路が車両通行止めになっていたので、こんな機会は二度とないとばかり、道路の真ん中を歩いて行きました。嵐の過ぎたあとの道には、葉の付いた折れた枝がたくさん散らばっていました。

義母はこの日落ち着いていたのですが、介護人がオムツの取替えにくると、ギャアーという耳を劈(つんざ)く悲鳴をあげ、罵倒し続け、大変な騒ぎとなります。お世話になっている人に「何をする、さわるな、近寄るな、出て行け、警察を呼ぶぞ」などと怒鳴り続けるのです。替えが終わると叫び疲れたのか、ぐったりして静かになりましたが、まるで拷問を受けたように「二度とこんな目にあわせるな」と私たちを睨み付けます。

月曜日、私たちは義母のところに行くのを休みました。すると夜11時ごろセンターから電話があり「義母が911(救急)を呼んだ」と言うのです。電話で「殺される、助けてくれ」と言ったらしいです。電話をかけられるほど義母の頭が機能していたとは思われないのですが、救急隊が来て、義母が錯乱していることを確認し、病院へ運びました。病院側では、義母の状態が急を要するものでないため入院を認めず、夜中の3時ごろ義母はまたリハビリセンターへ戻されました。相棒も私も風邪気味でボワーンとしていて、すぐ病院に駆けつけることはしませんでした。またセンターへ戻されたと知ると、二人とも寝床に戻って寝てしまいました。

翌朝センターに行くと、義母はカンカンに怒っていて「母親が911を呼んだというのに息子が病院にやって来ないとは何事だ」と言うのです。なんだか息子を呼ぶために911を呼んだような感があります(笑)。「食事もせず、ベッドから起き上がろうともしない」とセンターの人が言うのですが、私たちが来たので安心したのかベッドから起き上がりました。フィジカルセラピの人が車椅子でトレーニング室まで連れて行き、歩かせるよう説得するのに10分ぐらいかかりましたが、何とか10歩ほど歩いてくれました。「ああ、これで誕生日に食事ができるね」と私が言うと「それまで生きていないよ!」と言う義母。

そのあと、またオムツの取替えで、義母の断末魔の叫びがセンター狭しと響き渡ります。替えが終わるとダイエティシャンが来ました。義母が食事がまずいまずいと文句を言うので、何が好みの食物が訊きに来たのです。タマネギ入りオムレツ、フランクフルト(ホットドッグ)、ベイクドビーンズ、チキンスープ、フライドポテト、こんなものを並べ立てていました。肉の好きだった人ですが、肉はもう文字通り歯が立ちません。それから疲れたのかイスに座ったまま義母は眠ってしまいました。もう義母は別世界に行ったまま正常には戻らないようです。