ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

マンハッタンの渋滞

NY市、ここ1週間ほど日中33℃に上る暑い日が続いています。先週日曜日も暑い日でしたがロングアイランドまで出かけることにしました。相棒の両親の墓参りです。最近、車を使わないので去年新しくしたばかりのバッテリーが上がってしまうことが多く、バッテリーチャージも兼ねての遠出です。
さて、夏のマンハッタン、週末はパレードやストリートフェアでアチコチの道が塞がれることが多いのです。先週日曜日もプエルトリコパレードが五番街(地図紫線)であることウッカリ忘れていました。いつも使うセントラルパークを東へ突っ切る道(黒線)に向かうと、通行止め。しまった!と思っても遅い。ムカつきながら回り道して引き返し、57丁目へ向かいましたが、いつも以上に混雑していました。ノロノロ渋滞が続き殆ど進まず、その上やっと7番街まで来たと思ったらその先は通行止め。
ロングアイランドへ渡る橋まで行くのを2度も阻まれたので橋は諦め、ミッドタウントンネルを使うことにしました。西に廻って下る道がまたバンパーtoバンパー、センチメートル刻みにしか進みません。それでもやっと30丁目まで下がり、そこから東へ行きトンネルへ行く道に出ると、そこも通行止め。仕方なく少し遠回りしてやっとトンネルの入り口へたどり着きました。
トンネルを抜けて時計をみたら、自宅を出てから3時間近く経っていました。マンハッタンを抜け出るのはいつも大変で1時間はかかります。それを見越して出てきたのですが、まさか3時間かかるとは思いませんでした[黒線一本で行けた道を阻まれ、オレンジ点線のノロノロ運転]。
そんなこんなで、墓地に着いたのは閉まる時刻15分前。一度墓地に閉じ込められたことがあるので、私は気が気でなく、急いで義両親と義叔母夫婦たちの墓参りを済ませてサッサと出てきました。[前にも書きましたが、4年ほど前、一度、この墓地に閉じ込められました。閉まる時刻をかなり過ぎていたため、門が閉まって出られなくなったのです。私は墓地で一夜明かす覚悟までしました。幸い、メンテナンスのおじさんが用事で戻ってきたので、門を開けてもらえました。墓地で一夜明かすのは構わないですが、警察沙汰になるのは困るのでもう二度と閉じ込められたくない私なのです]
お墓参りの帰り、ポートワシントンに寄りました。浜にカナディアンギースの家族(夫婦と6羽のヒナ)が長閑で幸せそうにしている姿が都会の喧騒をしばし忘れさせてくれました。

ストロベリームーン

一昨日の9日が満月だったのですが、昨夜も見ることができました。
とても明かるく輝いていて、まるで月自身が光を放っているかのよう。しばし太陽の光を反射しているということを忘れてしまうほどでした。
今年一番小さく見えるとのことでしたが、輝きが強いせいか少しも小さく見えませんでした。[写真は借物]
ストロベリームーンは苺の収穫時期の満月であることからアメリカインディアンが名付けたらしいです。それじゃhoneymoonはハチミツの収穫時期の満月なのかと思ったけど、Wikiには満月とは関係ない由来が説明されていました。

芙蓉の思い出

昔、目蒲線の目黒駅近くの社宅に住んでいた頃です。60年近く前になるかな。

一階の台所の窓の下の陽に当たって妙に白々しいコンクリートの壁に美しい大輪の花を見つけました。一本だけの茎は花の美しさに似合わず凄く太く、葉は大きく、凛としていた、と記憶します。
何でこんなに綺麗な花が種も植えないのに咲きだしたんだろうと子供の私は不思議でしようがありませんでした。そして母に花の名前を訊いたのです。「何だろねぇ。芙蓉かな」と母は言いました。母は野の草花のことは知っていたようです。
私が「きれいだなぁ」と喜んでいる様子をみて、人の幸せな顔が嫌いな母は「すごく増えるんだよ。頑固で引き抜きにくくなる」と言ったような気がします。確かに茎がず太い。そこだけまるで私みたいで親近感を覚えたのでしょうか。
私はこの花が増えるのを楽しみにしていたような気がします。確か、2本か3本に増えたような気がしますが、これも記憶違いかも知れません。
四季のある日本の花らしくない、艶やかなピンクの大輪。今思えば、ハイビスカスと同科なので元は南国の花なのだろうと思います。最近になってタチアオイとかムクゲという似ている花のことを知り、昔見た芙蓉の花を思い出した次第です。

Donovan in NY

昨夜は週日には珍しく、夜出かけました。1960年代に人気のあったドノバンがNYでコンサートを開いたのです。ドノバンと聞いて相棒は懐かしくなったのか2か月も前から早々とチケットを買い込んでいました。

60年代は英国グループサウンズが全盛、米国では反戦フォークソング(ボブディラン等)のシンガーソングライターが盛って(笑)ました。その中でスタイルがディランに似た英国スコットランド出身の一風変わったシンガーソングライターがドノバンでした。
フォークの様な、そうでない様な、反戦なのか何なのかチンプンカンプンの意味合いの Mellow Yellow や Sunshine Superman などがヒット、アコースティックギターで独特の歌詞、繰り返しの多いドノバン節が一部ファンを魅了していました。私も60年代は日本で英国グループサウンズに聴き入っていた頃で、ドノバンも聴きましたが、ビートルズほどの興味は湧きませんでした。ドノバンはビートルズやディランとも親交があり、プライベートでお互いに曲作りで影響しあっていたことを後で知り興味深いです。50年前はキュートなスコッチ男子だったドノバンも歳月は厳しく、今は70歳過ぎのお爺さんで、面影は横顔の受け口だけ。
不思議に思ったのは、老いたドノバンが若い頃より声がよく伸び、歌い方もスタンダートになっていたこと。若い頃の生意気さが消えていました。アンプの効いたクラシックなアコースティックギターの音がふくよかでとても楽しかったです。
写真は携帯で撮ったのでかなりボヤけていますが、ライブの雰囲気が分かると思い貼り付けました。→
若い頃のドノバンです:↓
https://www.youtube.com/watch?v=64mb_hUOb4g

不可解なこと

不可解なこと(1)
自分の携帯のメモに「あの無用なネイルサロンがない」と書き残してあるのを見つけ、今回のユタ州の旅で、ふと思ったことをメモしておいたのを思い出しました。
ユタ州は、ソルトレイクシティのように大都市になるとやはりレフティストに市政を握られていますが、私たちが訪れたセントジョージ(SG)はまたレフティストに汚染されていないようでネイルサロンが見当たりませんでした。レフティストは汚染と堕落のバイ菌のようなものなので、綺麗な町を見つけるとバイ菌だらけにしてしまいます。SGもレフティストに見つかったらオワリかな。
繁栄していたデトロイトを貧困と犯罪の町にしたのも、あの美しくて平和で老夫婦が引退するのに最適と言われたサンフランシスコを暴動の町と化してしまったのもレフティスト。NY市も長年の民主党レフティスト市政によって犯罪の街となり空洞化が進んでいました。共和党ジュリアニ市長が悪を一掃して一時期また住みやすい街になったのですが、現在はまたレフティストによって街は汚くなってきています。ネズミの数が住人の何百倍、下水の臭いも酷く、地下の汚さを知るのが恐いです。
そしてNY市にはやたらとネイルサロンがあります。スターバックス店と同じ数ぐらいあります。私には不思議でしょうがないのです。爪の手入れは自分でできるんじゃないでしょか? 爪をカラーマニキュアで綺麗にしていたら家事した途端に剥げてしまうから意味がないし、家事だけでなくオフィスの仕事だって爪伸ばしてたらタイプなども打ちにくいと思うのです。家事も仕事もしなくていい大金持ちなら、街の安っぽいネイルサロンなど利用しないので、家事も仕事もしなければならない一般市民が利用していると思うのです。ネイルサロンは私には不可解です。

不可解なこと(2)
SGにいる間は腸の調子がとても良かったです。NY市のバイ菌、埃、水などが私の体に悪影響を与えているのでしょうか、戻って来るとまた調子が悪くなります。SGも赤土の埃はありましたが、きっと土の中の細菌が善菌なのでしょう。また水もNY市のようにフッ素など人工的に入れられていることもないのでしょう。食材も新鮮で、またワインを飲んでも頭痛が起こりませんでした。気のせいなのでしょうか...これも不可解です。

メモリアルデー休日の旅 (2)気候

5月末のユタ州南部St. Georgeは連日35℃を越す暑さでしたが湿気が少ないため汗はすぐ乾いてしまいサラッとして気持の良い気候です。
ただ、日差しがとても強く、相棒は鼻梁に皮膚癌を発生したこともあり、日焼けには十二分の注意が必要です。案の定、最初の一日で、帽子を被っていたにも拘らず鼻梁が赤く腫れてしまい、慌ててアチコチの店に行ってサングラスに引っ掛ける鼻カバーを探しましたが見つかりませんでした。仕方ないので間に合わせに絆創膏を鼻梁に貼って日焼けを防ぐことにしました。
5月でもこの暑さです。7月8月はかなりの暑さになると思います。ただ、日陰に入れば湿気のない暑さは凌ぎやすく、NYでは毎日シャワーを浴びなければ気が済まない私が、ここでは汗臭くならないのでシャワーを浴びたいとも思いませんでした。ま、エチケットとして浴びましたけど。

メモリアルデー休日の旅 (3)食事

この町のレストランは食材の吟味がよく、海辺でもないのに魚介類もまったく臭みがなく大変美味しかったです。普通のダイナー(大衆食堂)でさえトーストのパンがフレッシュで美味なのには驚きました。フルーツも、例えば苺なども完熟の甘さと香りがあり、私は感激すらしました。
[NY市では、熟さぬ内にもぎ取られるため香りがなく不味いフルーツばかり売られています。フジリンゴも日本の比ではありません。苺などは甘くない上に肥え臭いです。レストランで出される魚介類は料理した後でも生臭く、貝柱としてメニューに載っているのに出されるものは形の似ているサメの頬肉だったりします。NY市は一般市民をバカにしているのか、一般市民がバカなのか、その両方か、何しろ良心的なものは見当たりません]