ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

風呂場の修理工事(2)

今日で修理三日目。最初の穴穿ち、昨日の穴埋め、そして今日は漆喰塗り。明日はタイル張りとペンキ塗りで外装完了、修理終了。

毎日、修理の仕事の音と左官屋さんの電話のお喋りを聞くともなく聞きながらパソコンを弄っていました。スペイン(南米)語を話す左官屋さんは仕事の間中、ずっと電話で喋ってましたが、仕事と関係ない話のようでした。

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きょうは修理の音も静かで、左官屋さんのお喋りもいつもより低い声だったためか、婆は、ウツラウツラ致しました。朝早く起きねばならんのも明日までじゃ。

今、左官屋さんが置いていった業務用のでっかい扇風機が風呂場で廻っています。漆喰を乾かすため。風呂場で2-3時間、その後クローゼットの壁を乾かすように言われました。

 

風呂場の修理工事

今年ももう9月半ば近くになりました。先週末あたりからハリケーン・フローレンスの影響でNY市は雨天が続いています。今週末には東岸南部に上陸するらしいですが、勢力が弱まって被害が少なくなることを祈ります。

さて、昨日から私たちのアパートの風呂場の修理工事が始まりました。浸水でダメージを受けた壁の修理です。長いことアパートの部屋の整理を怠っていた私は、他人に部屋の乱れを見られることを恥じ、しなければならない修理を先延ばしにしていたためダメージは大きくなっていたようです。

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風呂場とクローゼットの境の壁はぶち抜かれました。

壁の厚さは私が思っていたよりは薄かったですが、中心には金網が張られ、複雑な素材で三層になっており、水漏れ防止のために表面は堅固なセメント素材が使われていました。

何事も症状が軽い内に修理するに越したことはありません。分かっていても常にそうしないことが多い私はいつも自己嫌悪することになります。

ま、そういうことで、今朝も早くから修理の続きが行われています。いつも朝は遅いですが、ここ数日は早起きをしています。今週末には修理が終わるらしいので、もっと長くかかると思っていた私にとっては有難いことです。

 

Operation Final 観ました

Operation Final

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アルゼンチンで逃亡生活をしていたアドルフ アイヒマンを秘密裡に捕まえ、イスラエルに連れ帰るまでのモサドの作戦遂行を描きます。大量殺人の主犯を他国で秘密裡に捕まえる計画はリスクが大きく大変興味深いものですが、この作品は、アイヒマンを実際に捕獲したモサドのメンバー Peter Malkinに焦点を当てているためか、盛り上がりに欠ける脚色となっているのが気になりました。アルゼンチン政府や現地のナチス協力者たちの妨害に焦点を当てたらもっと面白いものが出来上がったような気がします。

この頃思うこと(2)

相棒が下欄の「この頃思うこと」を見て「今、幸せじゃないのか?」と訊いてきました。妙な不安が何なのか、と思いながら書いただけで、不幸せだと訴えているつもりは毛頭ありません。私は世界でも稀にラッキー(幸せ)な人間だと思っています。

人生でソウルメイトが見つかる人は非常に稀だと思うのです。私は自分を低く見ていたので、ソウルメイトに巡り逢うことなどあり得ないと思っていました。それが自分でも驚くことに、巡り逢ったのです。これ以上、望むことなど何もないのです。

ただ、どんなに幸せであっても、毎日の生活の中では不安やら困惑やら支障やらが出てきます。そういうものを、悩みながらも解決していくことが生きるということでしょうか。悩みも支障もなく過ごす人がいるとしたら、それはもう人間としての生活ではないので、決して幸せな人生とは言えないです。

下欄に「具体的に何が不安か分からない」と書いていますが、かなり前から具体的に不安なことが1つありました。クローゼットと隣合わせの風呂場の壁が水漏れでブクブクして崩れてきていたのです。一応、歪みがひどくなった風呂場のタイルの部分を漆喰で埋めて一時的な修理をしておきましたのでタイルの歪みは止まりました。しかし、クローゼットの壁の崩壊は、そこに置いてある自転車の陰に隠れていて分らなかったのですが、ボロボロで中身が出てきていたのでビックリ。何やら不安にかられていたのです。

相棒は、いままで弱い視力の上に白内障も重なってモノがよく見えていなかったのですが、去年、白内障の手術をしてから視力が20/20に回復し、家の中がよく見えてきたようです。それで風呂場のタイルとクローゼットの壁の崩壊を見てもらいました。そしてアパートの管理人と相談して壁とタイルの修理をすることになりました。長期に渡る大変な修理になると心配していたのですが、4,5日でなんとかなるという話になって、少し安心しました。

修理はこれからですし、この先、スムーズに済むのかどうかは分かりませんので、まだ不安な気持が完全に消えたわけではないです。それに不安の原因が本当にコレだったのかも分かりません。でも、一つ一つ解決していけば不安な気持も軽くなるような気がします。

 

この頃思うこと

以前は、具体的に事態を予測して困惑したり不安になったりしていたのですが、最近は、何が原因なのか分からないのに不安な気持になることがよくあります。何だか分からないので解決する方法も思いつきません。

最近の日本のニュースを聞いて辛い気持にはなりますが、日本は昔から自然災害を避けられない位置にあり、いまさらそれが私の不安の原因になっているとも思えません。

自然の美しい国にありがちな自然災害を日本は避けられない運命にあるようです。打たれても壊されても流されても、自然の力に逆らわず、ただ委ねて生活してゆく内に、金品にも命にも固執しない日本の国民性が培われてきたと言われています。方丈記そのものの日本が私には好ましくさえ感じます。

もう47年前になりますが、20代の私が米国に来て最初に息苦しいと思ったのは「生きる権利」を振りかざし、そしてそれを誰にでも押し付ける風潮でした。ガムシャラ(必死)に生きることが人生の目的であるという感覚は、私にはなかなか馴染めませんでした。そんな私も米国に長く居付き、甲状腺癌の摘出や腰関節置換などの外科手術を受け、こうして生き延びています。私が育った頃の日本は定年が55歳でした。私の知っている有名人がどんどん亡くなっていき、その人たちの年齢をみると、自分の歳とそう変わりなく、自分も高齢と言われる歳になったのかと改めて驚くことがあります。

自分が老いていくことに不安があるとは思いません。ただ、こちらの看護士さんやらヘルパーさんに頼ってまで生活するのは何としても避けたいと思っています。故義母がヘルパーさんに世話されていた頃、時々、垣間見たヘルパーさんたちの低俗さにゾッとすることが何度かありました。だから義母はなるべく私に世話をしてもらいたかったようですが、義母の家までは電車で2時間近くかかるので、私は週に1-2回ぐらいしか通えませんでした。そしてその頃はまだ結婚していなかったので、嫁というよりガールフレンドという立ち位置でしたっけ。困ったことに、あまり世話をしすぎると義母に120%寄り掛かって来られることでした。毎日面倒みられるならそれでもいいですが、たまにしか来られない私を頼り過ぎれば義母はヘルパーさんでは不満が溜まり過ぎてしまうという結果になってしまうのです。何事も程度があり、人生とは難しいものだと思ったものでした。義母をみていたので、看護士やヘルパーさんの実態を少し知ることができたというわけです。私が当時思ったことは、老人を冷たく扱うヘルパーさんたちは自分たちが老いた時にやはり同じような扱いを受けることになるんだろうな、ということでした。

さて、老いた私にとってNY市はいろいろな意味で住み難くなっています。47年前から住んでいますが、その頃と今ではNY市もかなり変わってきています。昔は物価がそれほど高くありませんでした。地下鉄やバスは15セントで乗り放題。今は2ドル75セント。映画館の料金3ドルから5ドルぐらいだったけれど、今は20ドル近く。映画自体も脚本家不足でアニメやデジタルの子供向けの低能な作品ばかりで、いつも料金を払ったあとで気分が悪くなります。

レストランもしかり。食材を知らないコック(シェフとは敢て言わない)が見た目だけモダンにした料理を出すけれど味はプラスチック、こんなもの金を払ってまで食べる自分がバカバカしくさえ思えてきます。キッチンやサービス係も何となく衛生的でないし、トイレの後に手を洗ってるかどうかさえ信用できません。そういう気持の悪い食事のあとに10%に近い税金と18%以上のチップを加えて支払う時のアホらしさ...。

マンハッタンは街がゴミだらけで臭いし、排気ガスや工事のため空気が汚れきっており、喉や肺が侵され息苦しい毎日です。健康のために外へ出て歩けと言われてもその気にならないのは私が怠惰なだけではないと思います。

老婆となった私は、できれば、安全で、普段は静かで、空気がきれいで、自然に恵まれていて、食べ物が新鮮で、物価の安い所に住みたい、つまりNY市とは真逆の所に移りたいのです。

ほとんど他人と話すことのない毎日を過ごしている私なので、山奥でも寂しいという気持にはならないような気がしますが、あまり人里離れた所に住むと必要なものが入手できなかったり買物に不便になったりしそうなのが気になります。食料品ならトレーダージョーズ、家電機器ならホームデポ、日用雑貨品薬品ならウォルマート。その3店がそれほど遠くない所にあれば、可も不可もなく老後を送れそうな気がします。

もちろん、犬や猫を何匹か飼って過ごしたいです。

OH I FIT

9月に入ったとは言え、NYは、まだ蒸し暑さが残る日が続いています。そんな今日、買物からの帰り道、スマートカーが駐車しているのに出くわしました。普通車の半分ほどの長さのスマートカーは、NYの駐車状況には最適で、まことにスマート(頭の良い)な車だと思います。

前に駐車しているセダンと横断歩道との間は一般車では駐車できないスペースしかありません。しかし、そこはスマートカー、ピッタリと駐車していました。そして、後ろのライセンスプレートを見たら『OH I FIT』(オオ、ピッタリ)となっていたので、クスッと笑ってしまいました。

残念ながら携帯を持っていなかったので、このステキなコントのような写真は撮れませんでしたが、ウェブで同じ状況にあるスマートカーを見つけたので貼り付けてみます。ちょうどこんな具合で、前の車と横断歩道の白線の間は1.5メートルほど。

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f:id:nykanjin:20180906104057p:plain後ろを見たら、こうだったんですから笑ってしまうでしょう?

(写真は私が説明用に改造したものです)

ネディック岬③ショートサンズビーチ

宿の先にある灯台の向こう側には Short Sands Beach があり、そこまで散歩がてら歩いて行ってみました。ヨチヨチ歩きの子供がアチコチにいて、その可愛らしさに視線が釘付けになります。数年前、やはりメイン州の別のビーチを訪れた時も可愛い子供がアチコチにいて、私はその愛らしさに触発されてイラストを何枚か描き上げました。それはいまでも自分の好きなイラストとなっています。

この浜で、可愛らしい帽子の女の子を写したのですが、写真を見てから、その子のお母さんの後ろ姿が写り込んでいるのに気が付きました。長い足が気持よく伸びていてステキなプロポーションのお母さんです。

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ここの砂浜には小石がゴロゴロしていて、妙に味のある浜辺になっていました。

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それからビーチを後にして海岸沿いの道路を散歩しました。海の見える道は歩くと心が洗われるような気持良さを感じます。

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坂の上にはいろいろな家が建っていて、道路を挟んで海の見える側の道端に白いイスが置かれていて、どこか南欧のシーンを思い出し、いろいろと想像をかきたてる思いがしました。

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