ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

義母の手術

おととい、相棒は母親の骨の手術を、即入院した市立病院でなく、マンハッタンにある専門私立病院で受けさせたいと思い、母親の移動手続きに一日費やしていました。市立病院では自尊心を傷つけられ 「何でうちで手術しない」という気持からか移動に協力的でなく、相棒は二つの病院の総務課に交互に何度も何度も電話して、やっとカルテの転送にこぎつけ、病院は救急車も呼んでくれないので、自分で救急車を呼んで、やっと専門病院へ移動することができました。

母親はというと、息子の気持も知らず「なんだ、一日無駄にした」などと文句を言っていました(笑)。老いのためか殆ど正常な認識が出来なくなっている母親は、病院を移り、窓からイーストリバーの景色が望める明るい病室に入ったにもかかわらず、景色なんかどうでもよく、骨折の痛みに耐えられず「痛い痛い。足を動かせない。息子を呼べ。息子、何とかしろ!」と叫びます。病院にいて、医者でなく息子に何とかしろというのもおかしな話ですが、母親の頭は転倒していて言うことがメチャクチャ。

私が相棒に「こんなにいい病院に苦労して入院させても、おかあさん、何も分かっちゃくれないのに、親孝行な息子だね」と言うと「予後がよければ自分たちが助かるからね」と言う返事でした。相棒は自分が置換手術を受けて大変満足したこの病院を100パーセント信じているのです。確かに、二人とも安心感が十分あります。

昨日、義母の手術は夕方から始まり2時間半以上かかりました。私が予想していた置換手術ではなく、崩れた骨の周りにカバーをして形を整える手術だそうで、置換手術ほど複雑ではありませんがディフェブリレーターと言う器具を胸に挿入しているので、その作動を一時停止させ、手術後、再作動させる作業に更に時間がかかったようです。義母は手術後の介護室で輸血を受けながら一夜明かし、今日の午後、病室へ戻る予定なので、午後から病院へ出かけます。

Get Well (早く良くなれ)という風船を用意しましたので病室へ持って行きます。義母は目に見えない「本物の親切」は分からないのですが、目に見える風船には喜ぶ人なのです。私はズルいですね(笑)。