ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

元の木阿弥ニューヨーク

最近マンハッタンの街に出ると目につくのは浮浪者です。数が多いだけでなく物乞いにこちらへ近づいてきます。彼らに「6フィート離れる」という規則はないも同じです。民主党である現市長が警察に「犯罪者を無視する」よう通達しています。窃盗犯などすぐ放免するので、窃盗は繰り返されます。商店のガラスを打ち砕く暴徒を取り締まらない警察に「浮浪者の迷惑」を取り締まることなど全く当てにできなくなっています。

その昔、70~80年代ごろですが、民主党市長が続いていました。警察は今と同じように犯罪を無視していましたので、浮浪者、麻薬売人、スリ、かっぱらい、窃盗などが市中を横行し、市民は「自宅のドアには5つ以上の錠をつける」「街を歩く時は20ドル札をいつも用意しておく」ことが常識とされました。なぜ20ドル札かというと、ひとけのない街角で強盗に遭ったら「20ドル札を出して命乞いをしろ」ということだったのです(その頃の20ドルは今の50ドルぐらいの値打ちだと思います)。私は80年代にスーパーで買い物中かっぱらいに、また地下鉄に乗っていてスリに遭ったことがあります。あの頃、危険なマンハッタンで子供連れを見ることは滅多にありませんでした。

そのあまりの犯罪の酷さに、ついには民主党支持の市民まで共和党市長を支持しジュリアニが当選しました。ジュリアニ市長は街を一掃、麻薬売買の取締り強化、浮浪者は適切な施設に収容、その他の犯罪を厳しく取り締まったため、市内は安全になり、幼児のいる家族も安心して住めるようになり、街は活気を取り戻しました。売春や麻薬で汚れきったブロードウェイからいかがわしい商売を追い出し、劇場はいつも満席で売り切れになるほど景気が回復しました。ジュリアニ市長はNYに蔓延るマフィアや麻薬業者のグループに暗殺されるリスクを負いながら、それらの犯罪グループを一掃していきました。

しかし市長が民主党になった途端、警察の取締りが緩和され、街に浮浪者が増えだし、また犯罪が多発するようになりました。1年ほど前、近くに守衛が居たにも拘らず、老女がハンドバッグを強奪される事件が自宅近くであり、まさかという気持にさせられました。その後も以前は安全だったこの周辺で強奪や殺人事件が起こるようになり、浮浪者が歩道にねぐらをつくるようになり、NY市はまたもや汚くて危険な街に逆戻りしています。

犯罪率は急上昇、200~300%アップのカテゴリーもあります。現在ブラックライブズマターやらアンティーファなどという暴徒グループが街を荒らしているのでそれに紛れて犯罪者がのさばり始めたということでしょう。

私はかなり前からNY市がこうなることを予測して、ここに書き込んでいましたが、危機感に乏しい性質(たち)で準備はしていません。それに引き換え相棒の危機感はかなりなもののようでストレスがますます大きくなっているようです。