ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

やりきれない気持

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2日目になってもまだモヤモヤした気持が消えません。きのうの日曜日、五番街を下るバスに乗っていた時のことです。

バスには空席がチラホラありました。バスの前方に3人座れるベンチ型のイスがあります。混雑している時は老人や障害者が優先されるイスですが、空いている時は誰でも座ります。そこに5歳ぐらいの女の子と男の子が座っていました。女の子は西洋人形のような美形、男の子はハーフのようでこれまた超美形。そこに父親が二人付き添って立っていました。男の子の父親はアジア人(多分日系)で訛りのない英語を話すのでこちらで生まれた人だと推察。一所懸命二人の子供と話している様子からとても子供好きの人だと分かり、微笑ましく見ていました。

そこに杖をついた70-80歳ぐらいの老婆が乗ってきて、ベンチを過ぎて一人用のイスに座ったのですが、その時、何かが起こり、アジア系の父親に向かってババァは “go back to your country!(自分の国へ帰れ!)”と口走ったのです。自分の子供の前でそんな失礼なことを言われた父親は声を大きくして「ニューヨークでそんな人種差別的な言葉を聞くとは思わなかった。あんたは人種差別主義者か」とそのババァを睨みつけました。その父親は多分米国生まれでしょうから「自分の国って言われたって、どこのことだよ」とも言っていました。

自分の息子の前で、ひどく人種差別的で理不尽なことを言われたらどんな父親でもムカつきます。「この糞ババァ」とどなってもいいと思うくらいですが、この父親はそういう罵りの言葉は1つも発せず、ただただババァを睨みつけていました。するとババァの後ろにいた男性が「いい加減にしろ。彼女を睨むな。バスを降りろ」などと言いだすのです。その父親の小さな息子は一瞬、悲しそうな顔になり目に涙が溜まっていました。ああ、私はオロッとなりました。ひ、ひどいババァと男だ。私は向かい側に相棒と一緒に座っていましたが、相棒の陰になって父親とババァの状況は見えませんでした。もう一人の父親、女の子の父親は白人でしたが、この状況に口出しはせず黙っていました。

そして今度は私の後ろに座っていた中高年女性が聞こえるような声で「あの男、麻薬でも飲んでるみたいね。さっさとバスをおりればいいんだわ」と言うのです。私はカッカとしてきました。この女も人種差別ババァを支持するのかいな。その父親は「私は麻薬なんかやってません。人種差別的な言葉を吐きかけられたのです」と説明していました。

これではこの父親が悪者扱いされてしまうと思ったので、私は「あんなこと言われたら私だって腹が立つ(offended)わよ。お前の く、国って、な、なによ!」と聞こえるように言ってやりました。私も同じような人種差別的なことを言われたり、態度をとられたことが何度もあり、その度、黙って耐えて知らんふりしていたのですが、今ここで子供好きな父親がやらていたのです、加勢したくなりますよ。

ババァは不貞腐れた顔でイスに座っていました。周りがババァの味方なので悪びれていませんん。もう私は「おまえこそ、どこから来たか分からない様な顔してるじゃないか。糞ババァ!老いて杖をついているからって人種差別主義者をのさばらせておけるか、このレイシストめ!」と無意味な罵りをしたくなりましたが、もちろん頭の中だけでそう言いました。

今落ち着いて思うに「年寄りだからって何でも言っていいということはない。この父親の小さな息子は、父親が馬鹿にされたことで今後トラウマになるぞ。おまえは子供をそんな気持にさせて恥ずかしくないのか」と言ってやれば良かったと思うのです。でもカッカした時の私は理路整然としたことは言えません。

父親の口惜しさを私も十二分に感じ取って、きのうからとても気分が悪いのです。でも、あの父親、けして罵る言葉を言わなかったのは息子がいたからでしょうか、それとも低俗な言葉は使わない品格のある人だったのでしょうか、どちらにしても、私としては誇れる思いです。こっちの人はFだのSだのBだのと凄い罵り言葉をぶつけだし、低俗そのものですからね。

自分の国へ帰れと言っていいのは違法移住者に向かってです。法に沿って住んでいる人をそういう違法者と一緒にされてはたまりません。レフティストは「違法な移住者」を「法を守る移住者」と混同させて、違法に保護しています。まったく、やりきれない、やりきれないでーす。