Sermonの思い出

ここ数日偏頭痛が続きます。食べ過ぎて胃を悪くするためでしょう。なぜ食べ過ぎるのか分かりません。空腹ではないのに胃にモノを詰め込んでしまいたくなる悪癖はいつ頃から始まったか、この歳になったらもう止ってもよさそうなモンですが、何の因果か、いつまでも続きます。何かがまだ成長していないような、精神がまだ何かに到達していないような、そんな気がします。

さて、私はいま人生で懺悔の時期にさしかかっているのではないかと思います。死ぬ前の心の準備?(笑) 若い頃の様々な過失に許しを乞う時期なんでしょうか。ほとんどが他愛もないことなのですが、思い出して自分を恥じる間、その過去をどう処理していいものか分からず、辛いのです。

たとえば、差しさわりのないところを話しますが、二十数年前、勤務先でPCの扱いに困った時、ボランティアで補助をしてくれる日本人の男性にお願いしてアドバイスに来てもらった時のことです。その方は技師でもあり、いろいろなことをよくご存知で、PC関連で日本企業と広く交流があるようでしたが、私はその方の背景をよく知らず、ただ単に助けてもらっていました。今思うと私もかなり図々しい女で、何かとその方に助けを求め、無料のアドバイスを受けていました。

その日、その方が、PCで何かを引き出す例として「たとえばサーモンと入力してみましょうか」とsermonと入力されました。すると何にも出てこないのです。それで庶民的な頭しかない私は「あ、違う」と言ってsalmonと打ち込んだのです。するといろいろ出てきましたので「ね?」などと自分勝手に満足していました。その方は呆気にとられたような顔をされて何も言いませんでした。そばで一緒に見ていた日本の女の子も分かっていたのでしょうが、やはり優しい子でしたので何にも言いませんでした。

あとで私はふと気が付きました。あの方のサーモンは魚のsalmonなんかじゃなくて、宗教上のsermon(説教)のことだったんだ、と。それから、そのことを思い出すたび自分のバカさ加減に嫌気がさし、その傲慢な自分の態度を恥じているのです。

30年ほど前にも似たような事がありましたが、そのことはあまり気になりません。というのも誤解がその場ですぐ解けたからです。あの「ヨイショ」の事務所に勤務していた時のこと、ボスの扱っているケースの書類を打ち込んでいるとforged corrugateとかいう言葉がよく出てきました。私はその前にヒューストンにいた頃、三井の鉄鋼部門に勤務していたことがあったので、その単語には慣れていました。何かの拍子にボスが「このforged corrugateって何だろね」っと言ったので、私は「あー、それは叩いて強化した金属で、こう波打っていて...」と説明し出したら、ボスは「そんなこと知ってるよ。何に使うもんだろうってことだよ」と言ったので、あ、いけねぇ、もちろん、ハーバーード出弁護士の米国人に学のない日本人が説明することじゃぁない、とすぐ気が付いて肩をすくめてお終い(笑)。ボスも別に気を悪くした様子はありませんでした。

Sermonの場合は、誤解をそのままにしてしまったので、いつまでも脳裏に残ってしまうんですね。

ほかにもいろいろ自分の傲慢さが悔やまれる思い出があり、ヒョイッと思い出してはイヤな気分になっています。イヤな気分というのは解決のしようがなくて無駄に思い出すだけだからでしょう。こういうことはsermonじゃないが、それこそ牧師さんかお坊さんに聞いてもらうと、どう考えたらいいか導いてもらえるのでしょうか。