ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

サマータイム

今朝、7時過ぎなのに何となく暗いなぁと感じました。そして「あぁ、先週土曜日からサマータイムになったんだっけ」と思い出しました。標準時間なら6時過ぎ。

NYでは3月初めから11月初めまでサマータイム。米国では現在アリゾナ州以外はどの州もサマータイム実施しているらしいです。私は無理に時計を進めるより、その期間1時間早めのスケジュールにすればいいと思うのですが、群集を動かすには「錯覚」のほうが絶対効果を発揮するらしいです。

サマータイムと言えば聞えてくるミュージックがこれ。色々な人がカバーしていますが、私にとっては、このサラボーンのバージョンが一番スタンダードで聴きやすいです。コレ、子守歌なんでしょうねぇ。


Sarah Vaughan - Summertime

深紅のスィトピー?!

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ではなく、23日目のバラです。

もう花瓶に水は入れていません。

ドライフラワーになっても深い紅色が褪せません。花の形が崩れ、遠くから眺めるとスィトピーのようです。

本格的にドライにしたのではなく、そのまま、ちょっとヘアスプレーで花びらを抑えただけです。散るまでもう少し楽しめそうです。

 

20日目のバラ


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もう半分以上のバラがフニャリとしおれてしまい、残ったこのバラたちも多分今日が最後でしょう。

花は開き過ぎて花弁がこぼれ落ちそうですが、それでも花冠は上を向いていて最期まで美しくあろうとしているようです。

人間にもこのバラのようにいつまでも美しい女性をたまに見かけます。

首筋が細長く、立ち居振る舞いが優雅で、笑顔が優しく、そして着物姿が美しい...と書いていたら、最近ビデオでみかけた三田佳子さんを思い出しました。多分何年か前のもので、今はもっとお歳を召していらっしゃることでしょう。

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その三田さんが着こなしてらしたのは灰色の地にクリーム色の丸い模様がそれは美しい着物でした。

とても私のイラストではその美しさは表せませんが、おおよそこんな感じの着物でした。ババァの記憶が薄れていて、多分模様の位置はかなり違うと思いますが、ビデオではハッとするほど綺麗な色合わせでした。

継(つぎ)をする幸せ Happiness of Patching

相棒がフランネルのシャツの肘を破いてしまったので、その部分に継を施しました。そして気が付いたのですが、継をしている時の私の精神はとても安らかであるということです。私は修繕をするのが好きなようです。まるでステキな家の日の当たる庭でイスに座って編物をしている幸せな女性のような、平穏な気分になるのです。ま、ほんの一時(いっとき)のことですけど。

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濃いグリーンのシャツですが同じ色の余り布が見つからず、手元にあった黒いジャージを丸く切って破れた部分をカバーし、コチョコチョと手縫いで継をしていると、世の中の嫌なことなど少しも頭に浮かばず、ただ継を目立たないようにと工夫していました。チェック模様だったので黒布の上を白糸と緑糸でチェックを作っていたら糸でゴワゴワしてしまいましたが、なんとか継ができあがりました(笑)。

後記:タイトルに英語を加えたのは、無料翻訳ツールでは「継」を next と英訳されてしまうことが分かったためです。

18日目のバラ

今年のバレンタインズデーに貰った紅バラは首が垂れずにいつまでも綺麗です

f:id:nykanjin:20190304042820j:plainもう18日目なのに首が垂れてしまったのは4本だけ。

あとのバラは少し色褪せてきてはいますが首はシャンとまっすぐです。

ほどよい肥料の豊かな土の園で心を込めて花をつくる人に育てられたバラなのかな?

 

一枚の写真

f:id:nykanjin:20190301051049j:plain私の着物姿の写真は一枚だけあります。七五三のお祝いの写真。早生まれの私はまだ2歳9か月でしたが、骨太だったので七歳と言われても信じられたかも知れません。

老いた母がそのオリジナル写真を持っていて、最近になって私に送るように義妹に頼んだらしく、Eメールでコピーが送られてきました。30年ぐらい前に日本に行った時に既に写真屋でコピーを作ったものを私は持っているのですが、一緒に撮りに行った母はそれを忘れているようです。

65年以上前のセピア色の古い写真。写真屋のスタジオで、背の高い2本の白菊が背景にあり、横には光沢のある布張り脚付スツールが置かれていて、人は写真に騙されるものだと思います。私はこの写真を見ると空虚な気持と温かい気持が相俟って複雑な気持になるのです。

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親から暖かい目でみられることがなかった私ですが、一人の伯父だけは娘のように可愛がってくれました。その伯父がお祝い用の着物とポックリを買ってくれたので、それを着て写真を撮りました。両親は娘のお祝いなどはしない人たちでしたが、伯父がせっかく着物を買ってくれたので写真だけ撮ったようです。ホントに写真だけで、両親は神宮にお参りにさえ行ってはくれませんでした。

伯父は絵を上手に描く人で、それに影響を受けた私も絵を描くことが好きになりました。伯父は幼い私(多分3歳頃)に顔、眼、鼻、口の英単語を教えてくれて、数カ月後に私に覚えているか訊くのです。そして私が全部覚えていて暗唱すると、とても嬉しそうでした。幼い頃の私の記憶力は良く、たった4つの単語なんか忘れるわけがないと思う私でしたが、伯父が目じりを下げて喜んでくれるのが嬉しくていました。両親は私と話すことに興味がないようでしたが、伯父は私と向かい合って話してくれました。私は伯父が訪ねてくると嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。伯父が親だったら、伯父と暮らせたらどんなによいかと思っていました。[後記:言い忘れましたが伯父は器用貧乏と呼ばれる生活をしていました。お金などない人でした]

実親の態度は小さい私の心を虚しくしていました。いまでもあの頃の空虚さを思い出しては胸が詰まってきます。伯父への温かい気持と両親への空虚な気持が交互に湧いてきて、とても複雑な気持になる写真です。

14日目のバラ

昨日の選挙結果ですが、十数人のレフティスト候補者の中でたった一人の保守系候補は残念ながら当選しませんでした。NY市はレフティストの巣屈だから私の一票が功を奏すとは思っていませんでした。ただ投票して「やはりそうか」と思う方が、投票しないで心残りになるよりはマシです。

私の頭には、誰もいない寂れたビルの谷間にゴミが舞う退廃した街が浮かびます。1970年代、NY市はそれに近い街になっていました。特にブロンクスは酷く、猫ほどの大きさのネズミが飛び交っていたと聞きます。企業は離れてゆき空洞化が進み、アパートは錠を5個以上付け、窓には鉄格子が取り付けてありました。夜歩く時は20ドル札をポケットに用意しておいて、強盗に遭ったらその札をあげて命乞いをすることが常識となっていました。レフティストが政治を牛耳ると繁栄していた街は退廃した街になります。デトロイトしかり、ロスアンゼルスしかり、サンフランシスコしかり、そしてNYも...

 

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あ、バラの話をするつもりだったんだっけ。14日目のバラです。写真では分かりませんが深紅のベルベットのような花弁でとても豪華です。

ただし、3本ほど花冠が垂れてしまって、1本は捨てましたが2本は今必死に別の花瓶で救命?しています。茎を切ったり、水のかけ流しをして酸素を供給したりしてはいますが、やはり1本は垂れたままです。でも残りの1本は顔を上げてきていますので、もしかしたら助かるかも知れません。