ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

まりつき

ふと子供の頃、まりつきをしながら歌った「数え歌」が頭に浮かびました。

♪いちれつらんぱん破裂して日露戦争始まった。サッサと逃げるはロシアの兵、死んでも尽くすは日本の兵♪(5から8までは憶えておらず、最後の9と10のところだけ憶えています)♪クロバトキンの首をとり、東郷大将万々歳♪

「いちれつらんぱん」は「一列談判」と表すようですが、意味不明。
「死んでも尽くす」というのは木口小平という戦闘ラッパ吹きが、撃たれてもラッパを吹き続け、息尽きた時もラッパを口から離さずにいたという話が当時有名だったからでしょう。この木口小平の話は故父が好きで、撃たれてウワッと胸を押さえ、痛そうな顔してラッパを持つ、大根役者ごとき芝居の振りを入れて、よく話してくれました。父は自分にない勇気や忠誠を持った兵士に憧れていたようです。海軍巡視船に乗っていた父は米機の空襲に遭い「怖くて怖くてなぁ。それでも弾の入った箱を運ばねばならなかったから、船上を必死に走って運んだ」ので足を撃たれ、弾は幸運にも皿を割らずに膝上を突きぬけたことなど、自分の恐怖心を自嘲しながら話していました。

まりつき歌でこんな歌も思い出しました。
♪あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ、せんばさ、せんば山にはタヌキがおってさ、それを猟師が鉄砲で撃ってさ、煮てさ、焼いてさ、食ってさ、それを木の葉でちょっとおっかぶせ♪

「ちょっとおっかぶせ」のところで、ついていたマリを股にくぐらせ、お尻の後ろで受けとめるのです。バスケットボール選手並みのワザ(笑)。こうやって遊びで楽しみながら身体を動かしていたから健康でいられたんですねぇ、昔は。

最近、先のことはあまり考えず、こうやって昔のことを多く思い出すのは老いた証拠ですねぇ。少しずつ身体も疲れてきて、好きな旅行でさえ、だんだん億劫になってきています。相棒はまだ海外旅行をしたい気持があるようですが、私はもう近場に行くか、もう旅はやめて猫でも飼って世話していた方がいいわい、という気持です。これも老いた証拠ですなぁ。