ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

ベンチで休んで

今度の旅の話はもう少しあとで書きます。

相棒のCPAPには毎日蒸留水が必要です。どの店でも1ガロン単位で蒸留水が売られています。せめて半ガロンのボトルがあると助かるのですが、老体のこの身には重たい1ガロンは持ち帰るのが辛くなってきています。

一昨日もガロン買い込んで、家路に向かう道々何度か休みました。1度はベンチに腰掛けて息を整え、そのまま数分座ってしまいました。昔、おばあさんが買物の途中で休んでいるのを見たことがあるけれど、きっと今の私と同じ状態だったんだなぁ、としみじみ生身に感じました。

木陰のベンチに座り、日差しを見上げ、それから向かい側の遊園地に目が行きました。遊園地の隣は小学校。昼休みだったのか、たくさんの子供たちがプレイをしたり、ブランコに乗ったりして遊んでいるのを暫く眩しく眺めていました。

ブランコを凄い勢いで漕いでいる子供を見ていて、昔、幼稚園でブランコ遊びをした自分がよみがえってきました。60年以上も前のことなのに、その時の自分の思いがまるで昨日のことのように感じられました。あの頃は老いの辛さなんか少しも理解できず、おばあさんが疲れて腰掛けていても「疲れ」を具体的に理解することなど全く不可能で、ただ「年寄りだから疲れる」という言葉を受け止めているに過ぎなかった私でした。そして今、自分が疲れて座っている。「老い」というものを思い知らされる歳になったこと、順送りで、やっと私にまわってきました。「やっと」という言葉を使うのはおかしいかも知れませんが、何でも晩生(おくて)の私です。

人は死ぬ間際、過ぎた昔の思い出が走馬灯のようにグルグル廻って見えるということを聞いたことがあります。記憶が全部消えて出て行く時に脳を掠めるいろいろなものが見えるのかもしれません。