ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

煩悩即菩提、障り多ければ徳多し

昨日、中華屋で夕食したのですが、その時に私は急にイラッとして、それを抑えるため両手で髪を引っ張ってしまうほど怒り心頭に発してしまいました。

どうと言うことはないのです。ただレストランのテーブルに着いてから20分たっても注文を取りに来ないだけだったのです。3人の係が行ったり来たりするのに近くに座っている私たちには目もくれず、遠くの席の他の客にサービスしているのを見ていて、一度声をかけたらメニューと水を持ってきてはくれましたが、その後も素通り。私は15分ぐらいが限度で20分は限度外、もうマフラーをしてコートを羽織り、出ていく気でいました。こういう扱いを受ける所で食事したくなかったのです。

しかし相棒が係の女性を止めて「いつまで待っても誰も来ない」というと注文を受けてくれましたので私はコートを脱いで座り直しましたが、気分は良くなりません。怒りが治まらない私は注文を相棒に任せ、サービス係を見ることもなくずっと黙って下を向いていました。周りを見渡したら、客は皆私の孫みたいな30歳以下の若者でした。それで爺婆のカップルは無視するのかと勝手にヒガミ根性を持ってしまいました。ここで食事したくないという気持がグッと前に出て怒り心頭。なんとか気持を落ちつける努力をしました。

食事が済むと、係が片付けに来るのは早く、会計伝票を持ってくるのも早すぎるほどでした。相棒はいつもならお茶を頼むのですが、この時は私の怒りを知っていたのですぐ会計を済ませてくれました。帰りにサンキューと言われたのですが、私は下向いてイソイソ出てしまいました。大人らしく怒りを抑えて丁寧にお礼が言えない自分が嫌でしたが、とてもウソの素振りができませんでした。料理は美味しいのですが、もう二度と行く気のしない所です。

私は、いつもは穏やかでいられるのですが、年に何回か、抑えていたものが爆発するみたいにイラッとして手がつったようになり、頭に矢を突き刺されたような怒りが抑えられなくなります。遺伝かな。母は年中怒っていました。故父はいつもは我慢していて5年に1度ほどムカッとすると物凄い勢いで黙って怒りをあらわしました。私もそれに似ていますが頻度が多い。

どうしたらこの急な怒りを消えさせることが出来るのか、と考え込んでしまいました。

そして今朝、パソコンをあけると、いつも見ているYouTube、菊谷さんという方が親鸞の教えを話す「仏教に学ぶ」というビデオが出てきました。「承認欲求」についてお話ししていました。人は認められたいという欲求と常に戦っているのだそうです。そしてその罪障との闘いが功徳を生むのだそうです。罪障が多ければ多いほど功徳も多くなるのだそうです。煩悩即菩提とも言うそうです。煩悩が多ければ多いほど幸せな気持も大きくなるということだそうです。

少し気持が楽になりました。