ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

極楽の境地

親鸞聖人の仏教を学ぶと究極自分を知ることが出来、自分を知った時の境地が「無碍の一道」絶対の幸福というものだそうです。「絶対の幸福」とは相対的幸福と違い、なにものにも邪魔されない永遠の幸福、真の幸福だそうです。

私も勿論自分のことが分かっていません。知っているのは今までに生きて来た様子だけです。恥ずかしがり屋で怒りんぼで同情心が強くて自分勝手という相反する感情が沸き上がるのは性格と呼べるのか、ただその時の生体反応なのか、分かりません。つまり自分のことを知らないということです。

自分というものを知った時の境地が真の幸福だなんて考えもしませんでした。自分を知ったら嫌になるんじゃないかと思っていましたが、ここで言う「自分を知る」ということは「宇宙のすべてを知る」ということのようです。この世に生まれてきたことが何であるかを知ることが出来たら、すべての謎が解けたようになるのかも知れません。もし、そんな境地になって人生を終わったら、それこそ極楽というものですね。