養老孟司氏が「死の覚悟」を語るビデオを見ました。養老氏は肺癌を疑われた時、まだ死ぬには若かったので慌てたそうです。やり残したことがいっぱいあったのだそうです。幸い、肺癌でないことが分かって現在もご健在です。今は逝くときは逝くのが自然だから焦らないそうです。
私は「やり残したこと」など何も考えつきません。やらなければならない事などない人生だったと思います。だから「覚悟」するほど大袈裟な気持にもなりません。
以前に「発つ鳥後を濁さず」の如く、あとに面倒なことを残さないで逝きたいと思ったことはあります。身辺整理をしてから逝くべきだと思ったりもしました。今そう思わなくなって、とても楽です。
死ぬ時に腸に排泄物が溜まっていないようにしたいなどと思ったこともあります(笑)。しかし、それもこの世の人が知ることであり、あの世にいく私にとっては「旅の恥は搔き捨て」同様、死に近づいたら食事を減らそうなんぞと思ったりした自分が他愛もないものに思えてきました。今はずうずうしく最後まで食っているだろうと思っています。
非常に無責任に聞こえるかも知れませんが、死んだらこの世にいないのだから、この世のことは自分が心配することではないと思い始めたのです(笑)。物の価値などこの世の人間が決めたことで、自分はそんなものとは無関係な所へ行くと思うので、残ったものがどうなったって構わないと思うようになりました。例えば財産(あるのかな?)とか思い出のモノとかそんなものはこの世での問題であって、自分とは関係なくなる。
いままで相棒が色々なところへ連れて行ってくれましたので、幸せな人生の後半でした。欧州、中東、中南米、南米、北米(カナダと米国各地)、どこも相棒の知識のお陰でさらに興味深い旅となり感謝です。皮肉にも日本を含むアジアはまだ訪れていません。東欧、ロシア、アフリカ、豪州もまだ訪れていませんが、もし行けなくても心残りはないです。キャパの小さな脳には今までの思い出でいっぱいなのです。
養老氏も「逝くときゃ逝くのが自然だから、考える必要ないんじゃない」とおっしゃってました。覚悟など必要ないということでしょう。同感です。
相棒には私が逝くのを見送って欲しいです。それは相棒には残酷過ぎるかも知れません。反対に、相棒がいなくなるという覚悟は私には全くできていません。それは想定外なのです。できれば生きるのも死ぬのも一緒ならいいです。