ユタ州南部の日常

ユタ州南部での隠居生活

日本の母

私の母は94歳。母を世話してもらっている日本の老人ホームのサイトには日々の暮らしを写真で紹介しているページがあります。初めのころは写真の中に母の姿はありませんでした。ま、偶々そうなのだろうと思っていたのですが、母は相当嫌われていたようでしばらく写真から外されていたようです。最近は母が写っていることもあるので様子が分かるようになりました。今は車イスでの生活になっています。

きょうホームの「日々の暮らし」のページを見てみたら「火災訓練」をしていました。そして私はゲタゲタと笑い出してしまいました。皆がテーブルに座って火災時の説明を聴いて指導を受け、顔をあげて手を頭につけているのですが、母だけテーブルに顔を突っ伏しているのです。何枚もの写真のどれも突っ伏したままなのです。両手はテーブルの下で顔だけ突っ伏しているので、まるでお笑いのシーンみたいでした。

ホームの人たちにとっては笑い事ではなく迷惑なのだろうと思います。もしかしたら母は死が近いのかしらなどとも思いました。

母についてはあまり良い事が書けません。それは自分の恥でもあると思っています。それなのに今ここに母のことを書こうと思ったということは、もしかしたら本当に母の最期も近いのかも知れません。何か母について良い事を書いて置かねばならないかも知れません。

私が5歳にならない頃、母はいつも内職をしていました。アイスクリームの紙コップ容器の糊付けをしていました。私も手伝いました。幼い私はきっと糊を付け過ぎていたように思います。でも、いつもは私の幼い不始末を叱る母があの時だけ「ありがとう」と言ってくれた記憶があります。良い事といってもこんなものかなぁ(笑)。